カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

10月21日

投稿日:2009年10月21日

江部乙温泉の朝湯に入り、サケの焼き肉 つきの朝食を食べ、7時30分に出発。石狩川を渡り、雨竜の町を走り抜け、北海道遺産の雨竜沼湿原への道を行く。

落ち葉が絨毯のように敷きつめられた道をスズキDRーZ400Sで走る。北海道の晩秋の風景。行き止まり地点の駐車場にDRを停め、暑寒別岳への登山道を登っていく。天気予報は傘マークだったが、うれしいことに薄日が差し、雲が切れて青空が見えてきた。その途中では豪快に流れ落ちる白竜の滝を見た。大汗をかいて山道を登りつめると、ついに雨竜沼湿地に到着。目の前には信じられないほどの大きさの大湿地帯が広がっている。その中に木道が延びている。その先には雲をかぶった南暑寒別岳と暑寒別岳が見える。すごいところまで来たというのが実感だ。来た道を引き返し、12時30分、江部乙に戻ってきた。

江部乙駅前でDRを停めたが、5時間の雨竜沼湿原の往復だった。ここからは北海道遺産にもなっている空知の炭鉱跡を見てまわる。天気は崩れ、雨が降り出す。雨具を着ての炭鉱跡めぐりになった。まずは赤平へ。ここでは「ズリ山」の777段の階段を見た。「ズリ山」というのは「ボタ山」のこと。ここは赤間炭鉱のズリ山だが、すでに閉山されて相当な年月がたっているので、すっかり植生で覆われている。つづいて旧住友赤平炭鉱の立坑跡を見る。かつてはこれが、炭鉱の町、赤平のシンボルになっていた。

赤平から歌志内へ。ここでは食堂で「なんこ定食」を食べる。馬モツの「なんこ鍋」の定食。歌志内の名物料理で、カブタンに教えてもらった。味噌煮の「なんこ鍋」に大満足したところで、歌志内でも炭鉱跡まで行った。美唄では旧三菱の炭鉱跡へ。そこには2基の立坑櫓が残っている。最後は幾春別の炭鉱跡。夕暮れに沈んでいく旧住友の立坑跡を見る。しばらくはその場に立ちつくし、動けなかった。空知の炭田はかつては日本最大。ここから掘り出された石炭が日本を支えていた。それが石炭から石油へというエネルギー革命の大波をまともに受け、空知の炭鉱は次々と閉山していった。

幾春別をあとにし、三笠から岩見沢を通り、江別へ。江別駅のすぐ近くの江別温泉「富士屋旅館」に泊まった。ここも前夜の江部乙温泉同様、なつかしの温泉。「300日3000湯」の温泉めぐりのとき、カブタン夫妻が来てくれた。塩分を含んだ茶褐色の湯につかりながら、あのときのシーンをなつかしく思い浮かべるのだった。

Comments

Comments are closed.