カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[127]番外編

投稿日:2012年7月21日

韓国一周2000(4)
『月刊旅』2000年12月号所収

「巨津→釜山」(東部編)

 2000年9月11日午前6時、巨津を出発。東海岸を釜山目指して南下していく。
 いよいよ「韓国一周」最後の東部編だ。
 国道7号で束草を通り、江陵に向かっていく。その途中、北緯38度線碑が建つ「大明38度線休憩所」の「38度線レストラン」で朝食。日本海を見ながらチゲ鍋定食を食べた。この地点をもって北緯38度線の世界に別れを告げた。
 江陵から東海へ。
 東海では日本海の港、東海港に行ってみる。韓国では日本海を東海といっている。
 東海から慶尚北道に入る。山々が海まで迫る東海岸は、平野の広がる西海岸に比べると交通量が少なくなり、通り過ぎていく町々の数も少なくなる。日本でいえば、瀬戸内海側の山陽と日本海側の山陰のような違いだ。
 地図を広げてみればすぐにわかることだが、韓国の背骨となる太白山脈の山々は、東海岸のすぐ近くを通って南北に連なっている。あまりにも東海岸にかたよりすぎているのだ。その太白山脈に北から金剛山、雪岳山、王台山、太白山といった高峰群がそびえている。この太白山脈の東側は急傾斜で流れ出る川は距離も短く、平野をつくることもなく、すぐに海に流れ出る。ところが西側はゆるやかな傾斜で、そこから流れ出る洛東江や漢江は韓国第1、第2の大河で流域には幾つもの盆地をつくり、下流には平野が開けている。
 その夜は韓国最大の、というよりも世界でも最大級の製鉄所のある浦項で泊まった。
 翌日は台風の影響で、朝から強い風が吹いていた。浦項駅前から走りはじめたが、この町で目につく道標は「POSCO(ポーハン・スティール・コーポレーション)」で、すべての道が浦項製鉄所につながっているかのよう。韓国経済の発展を象徴するかのような浦項製鉄所の敷地は広大で、その中に最新鋭の工場群が連なっている。それら工場群全体を見渡すための展望塔までできている。
 韓国経済発展の象徴的現場を目の当たりにしてぼくは、昨年(1999年)の「日本一周」を思い浮かべた。韓国経済とは対照的に、衰えゆく日本経済の現場を各地で見た。とくに製鉄所の高炉の火が消えた北九州や釜石、室蘭などの受けた打撃は深刻だ。しかし、この浦項製鉄所を一目見ると、それも当然のことだと納得せざるをえない。
 あまりにも規模が違いすぎる。
「もう、日本はかなわないな」
 と思わざるをえなかった。
 浦項製鉄所といったら日本の技術指導で完成した製鉄所ではないか。いつからこれほどまでに立場が逆転してしまったのか。
 浦項をあとにし、迎日湾に突き出た小半島に入っていく。ここが韓国本土最東端の地。北端の名無し岬には六角の白亜の灯台が建っている。灯台博物館もある。日本海の海岸には、巨大な手のモニュメント。この名無し岬から漁港のある九龍浦までの間のどこかが韓国本土の最東端ということになる。
 DJEBELのGPSを見ながら、この間を往復し、韓国最東端の地を見つけだした。そこには「海成水産」という水産会社の生け簀があった。道の尽きたところでバイクを停め、目の前に広がる日本海を眺めた。東経129度35分01秒の地点。ちなみに灯台の建つ名無し岬は東経129度34分17秒だ。
 九龍浦から海沿いの国道31号を南下し、甘浦からは国道4号で古都、慶州へ。ここは新羅千年の都。まずは慶州郊外の仏国寺に参拝する。新羅時代の751年に創建された古刹。国宝にもなっている大雄殿前の多宝塔と釈迦塔の双塔が目を引く。
 仏国寺前の食堂で昼食を食べ、慶州の市内に入っていく。新羅王朝の王族の古墳が点在する古墳公園を歩き、東洋最古の天文台で知られる瞻星台を見る。高さ9メートルの石造りの瞻星台は慶州のシンボル。最後に国立慶州博物館を見学し、甘浦に戻った。
 甘浦から国道31号を南下したところに新羅の文武大王の水中陵がある。見た目には海に浮かぶ岩山といったところだ。文武大王といえば、朝鮮半島の統一をなし遂げた王。その文武大王は
「私が死んだら遺骨を東海(日本海)に埋めよ」
 と遺言を残した。死んだあとも、自分が日本への備えになるというのだ。
 新羅が朝鮮半島を統一したのは676年。日本はまだ飛鳥時代で、国家としての体制が整ってまもないころなのに、もう統一新羅に恐れられていた。韓国にとっての日本はいつの時代も油断のならない、警戒すべき国なのだ。
 慶尚北道から慶尚南道に入り、蔚山へ。
 浦項が世界最大級の製鉄所のある町ならば、蔚山は韓国最大の財閥「現代」の企業城下町。自動車や造船、重機などの「現代」関連の大工場群がつづく。巨大な造船所にはいくつもの船台があり、そのほとんどで大型船を建造中。日本を大きく引き離し、世界最大の造船国になった韓国のその最前線を見る思いがした。
 韓国では英語の看板をほとんど見かけないが、蔚山ではあちこちに「HYUNDAI(現代)」の看板が掲げられている。町中「HYUNDAI」一色。さらにその南の蔚山湾に面した一帯は、精油所を中心とした石油化学の一大コンビナート地帯になっていた。
 蔚山を過ぎると、釜山は近い。
 台風の影響で強風とともに雨が降りだし、雨足は激しさを増した。土砂降りの雨をついて走り、9月12日午後5時、釜山駅前に到着。天気も釜山到着を祝ってくれたのか、ほんの一瞬、雨は上がった。DJEBELのトリップメーターを見ると3150キロ。
 全行程3150キロの「韓国一周」。予想したよりも、はるかに長い距離になった。
 この台風の影響で関釜フェリーは欠航し、釜山で1週間近く足止めをくらった。その間はチャガルチ市場前の「三和観光ホテル」に泊まり、毎日、釜山の町を歩いた。さらに釜山駅から列車で浦項や密陽、馬山などに行った。
 釜山から下関に戻ってきたのは9月19日のこと。帰りは日本海経由で国道9号、8号をメインに新潟県の糸魚川まで走り、最後は松本経由で東京へ。東京・新宿のコリアンタウンにある「韓国食堂」で最後の食事(ビビンバ)をし、伊勢原の自宅に戻った。
「伊勢原→下関」1100キロ、「釜山→釜山」3150キロ、「下関→伊勢原」1385キロ。「韓国一周」の全行程は5635キロになった。
(なお今回のバイクでの「韓国一周」は韓国政府からの特別な許可ということで実現したもので、現状では関釜フェリーにバイクを乗せることも、韓国へのバイクの持ち込みもできません。しかし、この「韓国一周」が突破口になり、日本から韓国にバイクを持ち込み、韓国内を走れるようになる日が1日も早くやってくることを心より願ってやみません)
※このあとJTBの協力も得て、韓国のバイク解禁に向けての署名活動をおこなった。その結果、日本中から多くのみなさんから署名をいただき、それを韓国政府に手渡した。そのおかげもあって2005年7月1日、韓国はバイクの持ち込みを解禁した。


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