アドレス日本巡礼[341]
投稿日:2016年4月21日
中山道、群馬の宿場巡り
スズキの125ccスクーター、アドレスV−125Gを走らせての中山道・宿場巡りはつづく。安中宿から板鼻宿へ。ここは国道18号を走っていては気がつかないまま通り過ぎてしまうような宿場だが、群馬県内の中山道の宿場の中では一番、往時の風情が残っている。ここは碓氷川の「徒歩渡し」で知られる宿場で、増水で川止めになると大勢の旅人が足止めを食らうので、天保14年(1843年)には54軒もの旅籠があった。
板鼻宿から高崎宿へ。高崎は井伊氏の城下町で、高崎城の乾櫓や東門を見てまわった。高崎といえば商業の町。田町や本町などに市が立ち、「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と歌われたほど賑わった。高崎宿では佐渡に通じる三国街道が分岐するが、本町1丁目の交差点が高崎追分になる。中山道はこの交差点を直進し、本町、田町、新町と通って高崎駅前を通っていく。三国街道はこの交差点を左折するが、地元では渋川に通じる街道なので渋川街道と呼んでいる。
次の倉賀野宿は中山道と日光例幣使街道の追分。そこには道標と常夜灯があり、閻魔堂が建っている。高崎追分は道の様子がすっかり変わり、江戸時代の追分の姿を見ることはできないが、それに対して倉賀野追分はまさに「これぞ追分」という姿を今の時代にとどめている。
次の新町宿ではJR高崎線の新町駅前から国道17号を渡り、旧中山道沿いの静かな新町宿を行く。宿場を走り抜けると群馬県と埼玉県の県境を越え、利根川の支流の神流川にさしかかる。神流川にかかる神流川橋のたもとには「神流川古戦場跡」の碑。そこに立つ案内板には「神流川合戦」として、次のように書かれている。