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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[361]

投稿日:2016年5月25日

観音さまのご利益

坂東三十三ヵ所めぐり 2009年6月15日

香取神宮の鳥居

香取神宮の鳥居

香取神宮の参道

香取神宮の参道

香取神宮の楼門

香取神宮の楼門

香取神宮の拝殿

香取神宮の拝殿

香取神宮に咲くアヤメ

香取神宮に咲くアヤメ

香取神宮の門前

香取神宮の門前

香取神宮門前の草もち

香取神宮門前の草もち

佐原の町に入っていく

佐原の町に入っていく

佐原の町には古い家々が残っている

佐原の町には古い家々が残っている

利根川の堤防上の国道356号を行く

利根川の堤防上の国道356号を行く

第28番滑河観音の山門

第28番滑河観音の山門

第28番滑河観音の本堂

第28番滑河観音の本堂

夕食の「味噌ラーメン&ライス」

夕食の「味噌ラーメン&ライス」

 銚子からは利根川沿いの国道356号を行く。佐原の手前で、下総の一宮、香取神宮に寄っていく。利根川をはさんで常陸の一宮の鹿島神宮と相対している香取神宮だ。杉の古木がうっそうと茂る参道を歩き、豪壮な造りの楼門をくぐり、拝殿で参拝。香取神宮の社殿は拝殿、幣殿、本殿が連なる権現造りの様式で、国の重要文化財に指定されている。祭神は経津主神(伊波比主命)。経津主神は鹿島神宮祭神の武甕槌神とともに国土平定に大きな功績をはたした天津神。香取神宮の参拝を終えると、門前の店の名物、草だんごを食べた。

 香取神宮からは古い町並みの残る佐原に入っていく。古くから水郷の町として栄えた佐原は「佐原市」だったが、2006年に隣接する香取郡の小見川町、山田町、栗原町と合併し、郡名をとって「香取市」になった。佐原といえば伊能忠敬。町中にある「伊能忠敬記念館」を見学し、忠敬の日本地図を見た。

 佐原からさらに国道356号を行く。利根川にかかる常総大橋との交差点を過ぎた滑川に、「坂東三十三ヵ所」第28番札所の滑河観音(龍正院)がある。

 寺の『縁起』には、その昔、五月というのに冷害で大凶作、住民が困ったので領主の将治が仏天にご加護を祈ったところ、その結願の日に「朝日姫」と名乗る少女に逢い、「汝の願いはかなうべし」と小田川辺に案内して忽然と姿を消した。あたりを見ると老憎が船を浮かべ、川から1寸2分の観音像を掬いあげて将治に与え、「この淵より湧く乳水をなめよ」と教えた。これがなめ河?滑河の地名の由来だが、そのお告げのとおりにすると、領民の病も、穀物の実りも回復したとある。この観音さまご出現の霊地は、龍正院から300メートルほどの所で「観音応現碑」が建てられている。
(坂東三十三カ所公式サイト滑河観音のページより/現在は変更されている)

 同サイトには「観音さまのご利益」と題して、ご住職の次のような一文ものっている。胸にジーンとくるような、何ともいい話ではないか。

 娘が小学校一年生の時、盲腸炎で入院したことがあります。朝からお腹が痛いと言うので近くのお医者さんに診ていただいたところ盲腸炎、すぐ入院手術をするようにと言われました。家内は下の子を出産して一方月もたたないので、私が付添いました。
 手術も無事終わり、病室に戻って来ました。「お腹を切ったところが痛くなったらお父さんの手ををぎゅっと握りなさい。観音さまが直してくれるからね」「はい」幼いながらもわかったのでしょう。時々「う?ん」と唸りながら私の手を握ります。少し経つと眠り、また手を握りしめ、を繰り返して夜が明け、一声も泣きませんでした。翌朝隣室のおばさんが「どうしたのよ、ひとつも泣かないで。昨夜は眠れないと覚悟していたのよ」とびっくりしていました。娘は「観音さまが痛くないようにしてくれたの」「う?ん。そうだったの。ありがたいねぇ」
 おかげさまで隣室の方々にも迷惑はかけずにすむし、私もおろおろせずにすみ、これが本当のご利益と感銘を受けたことでした。小さい時から私と一緒に本堂に上りお勤行をしておりましたため、観音さまのご利益をいただけたと思っております。その娘も今は二児の母親となり、母子共に健康で、二人の孫は「般若心経」を、となえています。

 滑河観音の参拝を終えると、国道356号→国道408号→国道51号で千葉へ。JR京葉線の千葉みなと駅前の「東横イン」に泊まった。駅周辺をプラプラ歩き、ラーメン店に入る。まずは餃子をつまみにして生ビールをキューッと飲み干し、そのあとで「味噌ラーメン&ライス」(870円)を食べた。「坂東三十三ヵ所」の残りもあとわずかになった。うれしいような寂しいような…。

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