東北を走ろう! 奥の細道編
投稿日:2011年4月29日
芭蕉の足跡をたどってみよう
芭蕉の「奥の細道」といえば、我々日本人にとっての一番人気の旅コース。その「奥の細道」の核心部は東北だ。東北内の「奥の細道」の主なスポットを紹介しよう。
地名のあとの数字&アルファベットは『ツーリングマップル東北』のページ数、位置を示しています。たとえば白河の9A?5は9ページのA?5を意味しています
- 1、白河[福島県](9A-5)
- 芭蕉は奥州街道の明神峠を越えてみちのくに入った。白坂宿から白河関跡へ。ここで旅心が定まった。関跡には芭蕉碑。芭蕉は白河関跡近くの旗宿で泊まった。
- 2、須賀川[福島県](14F-7)
- 「風流の初めや奥の田植え歌」。白河の関を越えた芭蕉は須賀川で8日滞在。そこで鄙びた田植え歌を聞いた。その間には乙字ヶ滝にも行った。
- 3、二本松[福島県](19H-5)
- 郡山で泊まった芭蕉は奥州街道を北上し、霞ヶ城の城下町、二本松に入っていく。ここでは阿武隈川を渡り、鬼女伝説の「黒塚」を見に行った。
- 4、福島[福島県](24H-6)
- 「早苗とる手もとや昔しのぶ摺り」。信夫の里(福島)ではもじ摺石を訪ねた。福島駅前には芭蕉と曽良の像。信夫山からは福島の市街地を一望。
- 5、飯坂[福島県](24H-4)
- 「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」。飯塚(飯坂)の里では五月の薫風にひるがえる紙幟を見た。飯坂温泉駅前に芭蕉像。共同浴場の「鯖湖湯」はいい。
- 6、岩沼[宮城県](30H-2)
- 白石で泊まった芭蕉は奥州街道をさらに北上し、日本三大稲荷のひとつ、竹駒稲荷のある岩沼宿へ。ここでは2本に分かれて伸びる武隈の松を見た。
- 7、仙台[宮城県](34I-5)
- 「あやめ草足にむすばん草鞋の緒」。名取川を渡って仙台に入った日は家々に端午のあやめを葺く日。それにかけた句。仙台では国分町に4泊した。
- 8、多賀城[宮城県](34L-3)
- 仙台から多賀城へ。奥州の国府、多賀城跡にある日本三古碑のひとつ、壷碑を見る。奈良時代建立の碑を見て芭蕉は大感動。
- 9、松島[宮城県](35B-1)
- 塩竃神社の参拝を終えた芭蕉は松島へ。日本三景のその美しさを「絶景筆紙につくしがたし」と絶賛している。ここでは瑞厳寺を参拝している。
- 10、石巻[宮城県](41I-7)
- 芭蕉はひと晩泊まった松島から石巻街道で石巻へ。日和山から旧北上川の河口を見下ろし、その向こうの金華山に想いをはせた。日和山には芭蕉像。
- 11、一関[岩手県](52D-4)
- 石巻からは一関街道で登米を通り一関へ。芭蕉はここで地主町の金森家に2夜、泊まったといわれ「二夜庵」の名がある。一関から平泉に行った。
- 12、平泉[岩手県](52D-3)
- 「夏草や兵どもが夢の跡」。平泉の高館には義経の館があった。ここが悲運の武将、最期の地。まさに夢の跡。高館からは北上川の流れを見下ろす。
- 13、尿前の関跡[宮城県](46C-4)
- 「蚤虱馬の尿する枕もと」。旅の辛さがジンジン伝わってくる。尿前の関跡には芭蕉像と句碑。ここから中山峠へ。中山峠には「封人の家」がある。
- 14、尾花沢[山形県](39F-1)
- 「奥の細道」最大の難関、山刀伐峠を越えた芭蕉はここで10泊。紅花商の鈴木清風らの家に泊まった。「芭蕉清風歴史資料館」前には芭蕉像。
- 15、山寺[山形県](33H-3)
- 「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」。山寺は「奥の細道」人気で大勢の人が訪れるが、奥の院まで登ればまさに「閑かさ」の世界。上からの眺めは絶景。
- 16、大石田[山形県](39F-2)
- 「五月雨を集めて早し最上川」。大石田は最上川に船運で栄えた町。最上川の河畔には「奥の細道」ゆかりの向川寺がある。大石田から最上川沿いの旅がはじまる。
- 17、本合海[山形県](45A-4)
- 芭蕉はここで最上川の船に乗った。河畔には芭蕉と曽良の像。古口で船を乗り換え、最上峡を行き、清川で降りた。そして出羽三山へと向かった。
- 18、月山[山形県](38G-3)
- 羽黒山から月山に登り、月山神社を参拝し、さらに湯殿山へと足を伸ばした芭蕉。湯殿山からは再度、月山の山頂に立ち、羽黒山に戻った。芭蕉の健脚ぶりがきわだつ出羽三山めぐりだ。
- 19、酒田[山形県](49A-5)
- 「暑き日を海に入れたり最上川」。最上川河口に夕日の落ちるシーンが目に浮かんでくる。真夏の酒田は気温が上がる。日和山公園には芭蕉像&芭蕉句碑。
- 20、象潟[秋田県](54D-3)
「汐越や鶴脛ぬれて海涼し」。外海の波が汐越を越えて打ち寄せてくる。当時の象潟はその名の通りの潟だったが、その後の象潟大地震で潟は消えた。水田の中にかつての九十九島の跡が残る。
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