環日本海ツーリング[5]
投稿日:2012年2月17日
芭蕉が越えた道筋をなぞる
「海鮮どんや とびしま」の「朝めし定食」を食べ終わると「酒田探訪」の開始だ。
北前船の千石船が出入りした酒田湊の繁栄を象徴するかのような「山居倉庫」(今でも使われている)と、隣接する「庄内米歴史資料館」を見学。つづいて市内の本間家旧本邸と旧鐙屋を見てまわった。
そして日和山公園へ。池には酒田に繁栄をもたらした千石船の模型が浮かび、日本海航路をつくり上げた河村瑞賢の像が建っている。それとともに芭蕉像と、「暑き日を海に入れたり最上川」の芭蕉句碑も建っている。
名残おしい酒田を出発。
スズキDR-Z400Sを走らせ、国道7号を北上。酒田からは芭蕉の「奥の細道」を追っていく。県境を越えた秋田県側の象潟までは、まさに「奥の細道」のハイライトシーンなのである。
芭蕉は酒田から象潟までは1日で行くつもりだったようだが、山形・秋田県境に近い吹浦に近づく頃から雨が激しくなり、吹浦で1泊している。その間では2ヵ所で渡し舟に乗っている。日向川と吹浦川の渡しだ。このように橋のかかっていない川には、渡し舟があったことがわかる。
吹浦は宿町と横町に分かれていた。宿町は浜街道の宿場町で、横町は出羽の一の宮、大物忌神社の門前町。芭蕉は宿町の宿に泊った。
そして翌日、ここの番所で通行手形に裏判を押してもらった。今の時代でいうと、国境を越えるときにパスポートに出国印を押してもらうようなものだ。芭蕉は無事、番所を通過して象潟へと向かっていく。
このあたりから浜街道は砂浜から磯浜へと変わっていく。鳥海山が日本海に落ち込むところで、浜街道の大きな難所になっていた。芭蕉はまたしても雨に降られながら歩き、女鹿の集落を通り、難所の三崎峠を越えていく。
ここは今の山形・秋田県境の峠で、国道7号をDRで走れば、気がつかないうちに越えてしまうような峠だが、当時は浜街道一番の難所になっていたのだ。
三崎峠の海岸が三崎。大師崎、不動崎、観音崎の3岬を合わせて三崎といっている。
このような芭蕉の足跡を頭に入れ、酒田から国道7号を走ったのだ。
庄内平野の水田地帯の向こうには鳥海山がそびえている。
芭蕉がひと晩、泊まった吹浦では出羽の一の宮、大物忌神社を参拝し、吹浦港を見る。吹浦からは日本海沿いの国道345号を行き、女鹿では鳥海山の名水「神泉の水」を飲み、国道7号に合流して山形・秋田の県境に到着。三崎の展望台に立ち、日本海の海岸線を眺めた。水平線上には飛島が見えていた。