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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[180]

投稿日:2013年6月7日

ふたたび世界への玄関口に

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 小浜を出発。国道27号で敦賀へ。旧道で関峠を越え、若狭から越前に入った。
 敦賀に到着すると、越前の一宮、気比神宮に参拝。そのあと敦賀港に行った。
 敦賀は奈良時代、すでに官の荷物を輸送する港になっていたが、江戸時代には日本海航路の北前船の出入りする日本海でも一、二の重要な港になっていた。
 第2次世界大戦前までは、敦賀とロシア沿海州のウラジオストックとの間に連絡船が就航していた。当時、東京からヨーロッパまで行く最短最速のルートは列車で敦賀まで行き、ウラジオストックに連絡船で渡り、列車でシベリアを横断し、モスクワからさらに列車でパリやロンドンに行くというものだった。
 敦賀港の岸壁にアドレスを止め、立ちつくしていると、ウラジオストックにバイクともどもフェリーで渡れる日の来ることを願った。今でこそ日本海側は太平洋側に比べると、遅れをとってしまったかのように見えるが、かつては日本海側は太平洋側よりもはるかに進んだ先進地帯で、日本の海外への玄関口にもなっていた。
 日本海をはさんだ対岸の国々との交流が活発になり、ふたたび敦賀がその玄関口になることを願わずにはいられない気持ちだった。
 敦賀港を後にし、日本三大松原のひとつに数えられる気比の松原に立ち寄り、敦賀半島北端の立石岬に向かった。若狭湾東部に突き出た敦賀半島のおかげで北西の季節風が遮られ、敦賀は昔も今も天然の良港になっている。
 敦賀原発の前を通り、敦賀半島の行止まり地点の立石まで行く。立石漁港の岸壁の片隅にアドレスを停め、立石岬の灯台まで歩いていく。高さ100メートルほどの山上にあるので、かなりきつい登り。山道を登りつめ、最後は石段を駆け上がって灯台に着く。古びた石造りの白い灯台で、「1881年7月20日初点灯」と書かれている。この灯台は日本人の手によって作られた最初の洋式灯台になる。
 立石岬から敦賀に戻ると、国道27号沿いの「日本海さかな街」で夕食。ここではスズキの250ccバイク、DJEBEL250XCに乗った時広さんに出会った。時広さんは全国の一宮巡りをしているとのことで、御朱印帳を見せてくれた。そんな時広さんと一緒に「福録寿司」で「海鮮ちらし」(1580円)を食べた。タイ、ハマチ、マグロ、サーモン、タコ、イカ、アジ、ヒラメ、サバ、イクラ、ウナギと11種もの具がのっている。敦賀ならではの味覚だ。
「日本海さかな街」で時広さんと別れ、敦賀市内の「ニューサンピア敦賀」に泊まった。

第37日目:伊根温泉→敦賀
2008年11月6日
走行距離:201キロ(合計8,366キロ)
費用:
傘松公園のリフト(往復) 640円
昼食 1,500円
ガソリン 366円
夕食 1,580円
宿泊(朝食つき) 6,940円
合計 11,026円
総計 448,747円


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気比神宮の鳥居
気比神宮を参拝


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敦賀半島北端の立石
立石岬への道


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立石岬の灯台
石造りの灯台


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立石岬の突端に立つ
敦賀の「海鮮丼」


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