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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[71]

投稿日:2013年10月2日

オホーツク人の住む世界

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2008年12月3日

 12月3日。網走駅前の「東横イン」の朝湯に入り、「おにぎり&味噌汁」の朝食を食べ、8時に出発。
 アドレスを走らせ、まずは網走川河口の左岸側にあるモヨロ貝塚に行く。ここは北海道では唯一の国指定の史跡。3世紀から13世紀にかけてのオホーツク文化の遺跡で、1913年(大正2年)、考古学研究家の米村喜男衛が発見した。
 縄文文化ともアイヌ文化とも違うオホーツク文化の存在を知った米村は網走に住むことを決め、米村理髪店を開業し、そのかたわら遺跡の調査、研究に没頭した。
 司馬遼太郎の『街道をゆく』の第38巻「オホーツク街道」では、米村喜男衛のことをたんねんに描き、トロイの遺跡を発見したシュリーマンと対比させている。
 モヨロ貝塚は史跡公園になっている。その一角には「土の家」がある。北方民族のギリヤーク(ニブヒ)語で「ドーラフ」という土の家は冬の寒さをしのぐため、半地下式の土室のような造りになっている。夏の間は地上に丸太造り、草葺きの掘立小屋を造って住んだ。モヨロ貝塚に残されている竪穴住居跡はギリヤーク人の冬の家によく似ているという。
 それほど広くないモヨロ遺跡を歩いたあと、資料館の「モヨロ貝塚館」を見学。ここは網走市郷土博物館の分館になっているが、館内では発掘当時そのままに復元した貝塚を見ることができる。そこには頭に甕をかぶせ、胸に両手を組み、両足を腹の上に折り曲げ、種々の器物を副えて埋葬された人骨も置かれている。
 オホーツク文化はオホーツク海の沿岸を中心として北海道、樺太、南千島の沿岸部で栄えた。オホーツク文化を知ると、北海道は「北の果て」というイメージは見事に打ち砕かれてしまう。北海道の北には豊かな文化を持った人たちが住んでいる。そんなあたりまえのことを改めて認識させられる。
 網走からは国道238号で網走湖、能取湖の湖畔を走り、常呂の町を走り抜け、海のように広いサロマ湖の湖畔に出る。このエリアにもオホーツク文化の遺跡がいくつもある。とくに常呂の周辺には遺跡が多い。きっとオホーツク人にとっては住みやすい所だったのだろう。
 北海道のオホーツク海の沿岸は、オホーツク文化を持つオホーツク人の住む世界だった。オホーツク人はさらに北方の広大な世界と密接に結びついていた。

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「東横イン」の朝食
網走駅前を出発


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網走川河口のモヨロ貝塚
モヨロ貝塚の「モヨロ貝塚館」


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網走湖
国道238号を行く


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能取湖
常呂の町並みを見下ろす


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海のように広いサロマ湖


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