アドレス日本一周 east[114]
投稿日:2013年11月23日
蝦夷地支配の拠点
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函館の朝市を見てまわり、朝市の食堂で朝食を食べ、函館を出発だ。
昨夜は熊石からナイトランだったので、来た道をもう一度戻り、函館を目指すことにした。ほんとうは熊石まで戻ればよかったのだが、ちょっと距離がありすぎる。それでは江差まで戻ろうかと思ったが、江差も遠い。ということで松前まで戻ることにした。
7時、函館駅前の「東横イン」を出発。スズキの125?スクーター、アドレスV?125Gリミテッドを走らせ、国道228号で一気に松前へ。8時45分に松前に到着。松前までは92キロだった。
松前は北海道で唯一の城下町。慶長11年(1606)に松前氏がこの地に松前(福山)城を築き、蝦夷地支配の拠点にした。
北海道一の桜の名所として知られる松前公園にある松前城を見学。城全体が資料館になっている。目をひくのは「松前屏風」。色鮮やかな屏風絵が、当時の松前の繁栄ぶりを物語っている。船が港を埋めつくし、浜には北海の物産を運んできたアイヌ人たちの小屋が建ち並んでいる。
江戸末期の嘉永2年(1849)、幕府は北方警備の拠点として、旧城を壊し新城を築かせた。東西240メートル、南北300メートル、16の門、7つの砲台、4つの櫓という日本最後の本格的築城の城だった。城内には慶応年間に撮影された写真が展示されているが、それを見ると、高台の上にそそりたつ松前城の威容ぶりがよく伝わってくる。
その松前城も明治8年に取り壊しになった。残った天守閣と本丸御門は後に国宝に指定された。北海道にもかつては国宝の建物があったのだ。だが何とも残念なことに昭和24年に燃え、国宝は解除された。今の天守閣は昭和35年に再建されたものだ。
つづいて「郷土資料館」を見学。ここは一見の価値がある。松前の歴史がじつによくわかる。大坂(大阪)と蝦夷地を結んだ北前船の模型が展示されている。この日本海航路の千石船が、上方の文化を蝦夷地にもたらした。松前藩の交易をになったのは近江商人。日本一の商売のプロ集団、近江商人の交易ルート図が目を引く。
最後に松前城の裏手にある松前神社を参拝し、松前を出発。国道229号で函館に向かった。