カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

『地平線通信』

投稿日:2020年12月27日

『地平線通信』の500号達成、おめでとう!

地平線会議」の『地平線通信』が500号を達成しました。凄いことです。これを機に、あらためて『地平線通信』の第1号を見ています。

『地平線通信』はハガキ通信から始まりました。

「みなさん、お元気ですか。地平線通信というハガキ通信をスタートさせました。これから毎月、地平線通信をお送りします」という書き出しのハガキ通信でした。地平線会議の報告会の担当はカソリでしたので、ハガキ通信の担当もカソリがすることになりました。『地平線通信』の第1号がなつかしく思い出されます。ガリ版刷りのハガキ通信でした。150枚のハガキにコピーした宛名をのりで貼り付けて、深夜に投函し終えたときは感動しました。ハガキ代は当時は1枚20円。昭和54年10月16日のことでした。

『地平線通信』第1号の「10月の地平線会議 報告会のお知らせ」は次のようなものでした。

10月26日(金)PM6:30 アジア会館(青山一丁目) 
恵谷治さん(31才フリージャーナリスト早大探検部OB)
の「砂漠からサバンナへ。独立の戦火を追って」
ーアフリカの解放区は政治的ジャングルであったー
エリトリア解放戦線(ELF)、エリトリア人民解放戦線(EPLF)、サハラ人民解放戦線(ポリサリオ戦線)に通算4年をかけて潜入し、共に暮らした男の体験報告
会費500円

 今は亡き恵谷さんは、熱気に溢れた報告をしてくれました。恵谷さんの報告会は第2回目で、参加者は62人。31000円の収入になりました。これを機に地平線会議のゴム印(4300円)を作りました。ハガキ通信のハガキ代(150枚)が3000円、宛名コピー代が600円、会場費が5300円、マイク使用料が2000円、参加者のみなさんへの飲み物代が12000円で支出の合計は27200円。差し引き3800円を次回の報告会用に繰りこすことができました。恵谷さんへの謝礼は0円。それでも報告会を快く引き受けてくれた恵谷さんには感謝感謝感謝でした。

 じつは地平線会議の報告会の第1回目は、そのひと月前の9月28日でした。

 第1回目の報告会では三輪主彦さんに「アナトリア高原から」というテーマで話してもらい、恵谷さんのときと同じようにハガキ通信を出したのです。それは試験的なハガキ通信でした。まあ、それはおいて、あの「地平線通信第1号」がよくぞここまで続いたものだと感心しています。

これが『地平線通信』の第1号。何とも懐かしく思い出される

▲これが『地平線通信』の第1号。何とも懐かしく思い出される

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