カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

10月19日

投稿日:2009年10月20日

旭川駅前の「東横イン」の朝食を食べ、7時30分に出発。旭川市内の常磐公園に行く。紅葉の公園内を歩き、石狩川の河畔に出た。そこから石狩川にかかる旭橋を見る。旭川のシンボルであり、北海道遺産にもなっている旭橋はちょうど10年に一度という塗り替え工事の最中で、橋全体はすっぽりと覆われていた。その姿は恐竜のよう。まあ、ふだんは見られない旭橋を見たということでよしとしよう。

R237で深山峠を越え、上富良野へ。そこには北海道遺産の「土の館」がある。圧巻は大正15年の十勝岳大爆発のときの泥流の断面。高さ4メートルの土壌の断面が噴火のすさまじさを今に伝えている。そのほか全国各地の土壌や北海道各地の土壌を展示している。「農業は土から」を強烈にアピールしている。農耕具の歴史や世界の鋤の展示も興味深いものだった。別棟には日本で唯一のトラクター博物館がある。「土の館」のある高台から上富良野の町並みとその向こうに聳える十勝岳を眺め、旭川に戻った。

旭川からはR40を北へ。塩狩峠を越えて石狩から天塩に入っていく。士別の町並みを走り抜けたところで北海道遺産の天塩川を渡った。天塩川に沿って名寄へ。R40の道の駅「なよろ」では昨夜、一緒に飲み、大騒ぎした佐々木さんが待ち構えてくれていた。何と、お仕事を抜け出してきたという奥様も一緒だった。奥様には「佐々木がいつもお世話になっています」といわれ、返答に困ってしまった。ねえ、佐々木さん、何の世話もしていないのにねえ。さらに佐々木さんのツーリング仲間のクマさんが富良野から駆けつけてくれた。職場に戻っていく佐々木夫人を見送ったあと、佐々木さんのヤマハ・セローを先頭に、カソリのスズキDRーZ400S、クマさんのホンダCB400SFがつづき、R40をさらに北へ。佐々木さんの案内で天塩川の岸辺の「北海道命名の地」までいく。

北方探検の松浦武四郎がこの地で蝦夷地を「北海道」と命名したのだという。3人で音威子府まで行き、音威子府駅構内のそば店で、名物の音威子府そばをたべる。まっ黒なそばの色。ここで佐々木さん、クマさんと別れ、音威子府からはR275を行く。天塩川と別れ、天北峠を越え、オホーツク沿岸の浜頓別へ。そこからはオホーツク海を見ながら宗谷岬へ。宗谷丘陵を見渡す高台でDRを止める。この地形、ゆるやかな宗谷丘陵に刻まれた谷々は氷河地形の名残で北海道遺産になっている。そして夕暮れの宗谷岬に立った。展望台に登り、宗谷海峡を見渡したが、残念ながらサハリンは見えなかった。

今晩の宿の民宿「宗谷岬」へ。なつかしい美人女将との再会。ここの夕食はすごくいい。ツボダイの焼き魚、サンマのたたき、柔らかなラムとおいしくいただいた。宗谷岬まで来ると感慨無量。食後、北海道地図を広げながら、「おー、ここまで来たか」といった感動にとらわれるのだった。

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