カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

10月20日

投稿日:2009年10月21日

民宿「宗谷岬」の朝食を食べ、8時出発。ザーザー音をたてて雨が降っている。雨具を着ての出発となった。ところがうれしいことに、宗谷丘陵を走り、宗谷岬にもどってきたときには雨は上がり、日が差していた。R238で稚内へ。

9時30分、稚内駅前に到着。これにて「北海道一周」の第2ステージ、「根室→稚内編」終了。その間は1028キロだった。ひきつづいて第3ステージの「稚内→函館編」をスタートさせる。稚内駅近くの稚内港へ。

北海道遺産の稚内港北防波堤ドームでスズキDRーZ400Sを止める。この季節、北防波堤ドームには人一人いなかった。稚内港の岸壁には稚泊航路の記念碑が建っている。稚内と樺太の大泊(コルサコフ)を結ぶ稚泊航路は戦前までは日本の北の大動脈になっていた。それにしてもなつかしい稚内港。1991年にはここからロシア船でサハリン西海岸のホルムスク(旧真岡)に渡った。2000年にはフェリーで旧大泊のコルサコフに渡った。ともに東京から稚内までバイクを走らせて乗船したのだが、稚内港を離れていくときのシーンがつい昨日のことのように思い出された。

稚内港からノシャップ岬へ。そこには赤白2色の北海道一ののっぽ灯台が立っている。岬の沖合を礼文・利尻から来たフェリーが稚内港に向かって航行していた。ノシャップ岬からは日本最北の温泉、稚内温泉「童夢」に立ち寄り、日本海沿いの道道106号を南下。交通量の少ない2車線の快走路。北海道らしい一直線の道がズバーッと延びている。天塩川を渡り、天塩の町に入っていく。そして天塩川の河口を見た。強風にあおられ、幅広い河口は波だっていた。

天塩からは日本海沿いのR232を南下。羽幌まで来ると天気は急変し、嵐のようになった。猛烈な風とたたきつけるような雨。日本海も大荒れだ。苫前では強風にDRが吹き飛ばされ、路肩に飛び出した。転倒しなくてほんとうによかったが、「これは無理だ」と、しばらくはバス停に避難した。風が少し弱まったところで小平へ。そこでは花田家のニシン番屋を見学する。大勢のヤン衆(漁夫)が寝泊まりした豪壮なたてもの。大漁に湧いたニシン漁を彷彿とさせる番屋の建物。この花田家番屋を含めた「留萌のニシン街道」は北海道遺産に指定されている。番屋の見学を終えると、食堂で昼食にする。「焼きニシン定食」を食べたが、これがよかった。ニシンの焼き魚は文句なしにうまかったが、それについてくるニシンの三平汁も、サケの三平汁に負けないくらいにうまかった。

あいかわらずの嵐の中を留萌へ。留萌からはR231で増毛まで行く。留萌本線の終着、増毛駅には1両の列車が止まっていた。ここでは駅前の木造3階建の旅館だった建物や藏造りの商家、造り酒屋、木造の増毛小学校などを見てまわったが、これら「増毛の歴史的建物群」は北海道遺産になっている。増毛から留萌に戻り、R233で深川へ。風はほとんどなくなったが、雨は一段と激しくなり、土砂降り状態。深川からはR12を南下し、滝川の「松尾ジンギスカン」の本店で特上のジンギスカンを食べた。今晩の泊まりは江部乙駅前の江部乙温泉。ここはなつかしの温泉。「300日3000湯」の時、名寄の佐々木さんが大雨をついてバイクを走らせて来てくれた所。そんな思い出にひたりながら、江部乙温泉のにごり湯につかった。嵐との戦いの疲れもいっぺんに吹き飛ぶような江部乙温泉の湯だった。

Comments

Comments are closed.