カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

10月28日

投稿日:2009年10月29日

いよいよ今日は最終日。「東横イン新白河駅前」の朝食を食べ、7時30分出発。白河からは旧奥州街道のR294を行く。

東北最後の奥州街道の宿場、白坂を通り、関東との境の明神峠を越える。そこには「境の明神」がまつられている。東北から関東に入り、R294沿いの「泉田一里塚」を見る。これが関東最初の奥州街道の一里塚。つづいて寄居本郷の集落に入っていく。ここが関東最初の奥州街道の宿場、寄居宿。R294をさらに南下すると、やがて右手にはかの有名な「遊行柳」が見えてくる。その昔、西行や芭蕉もこの地を訪れた。柳の下には芭蕉の「奥の細道」の句碑がある。「遊行柳」の奥、湯泉神社(上の宮)の境内には見上げるような大イチョウが空を突いている。芦野氏の城下町、芦野に入っていく。ここも奥州街道の宿場。町並みをひととおり見たところで、「那須歴史探訪館」を見学。ここは良かった。何が良かったかといえば、この地を通る街道の歴史がひと目でわかることだ。古代日本の官道、東山道にはじまり、鎌倉街道、奥州街道へとつづき、今のR4の元になった原街道、陸羽街道、そして国道4号から東北道へとつづく。

芦野からは県道72号で大田原へ。この道が旧奥州街道。その間には夫婦石一里塚、寺子一里塚公園、越堀宿、鍋掛宿と見所がたくさんある。鍋掛宿には芭蕉の「奥の細道」の句碑もある。那須野の中心地、大田原に到着。旧奥州街道はさらに佐久山、喜連川、氏家、白沢と奥州街道の宿場を通って宇都宮に通じている。それはまた別な機会にすることとし、大田原からはR461→R4で東京に向かうことにした。

R4に出たところには帚川のヤナ場がある。そこで昼食。「鮎定食」を食べたが、焼きたてのアユが2ひき、ついてくる。いやー、うまいアユだった。R4で東京へ。宇都宮の手前、高根沢の宝積寺では何と「蘭ちゃん」が国道の脇に立って手を振ってくれていた。一緒に「坂東三十三ヶ所」の札所めぐりをしたこともある「蘭ちゃん」。いやいやいや!で挨拶をかわしたところで、再会を祝してカンコーヒーで乾杯。そのあと「蘭ちゃん」の会社のある真岡まで一緒に行き、再度、カンコーヒーで乾杯して別れた。「蘭ちゃん」、ありがとうね。

R4に戻ると、利根川を渡り、埼玉県に入る。春日部、草加と通り、荒川を渡って東京都に入る。「300日3000湯」の思い出の温泉、保木間温泉「保木間の湯じゃぼん」に入り、奥州街道最後の宿場、千住宿に立ち寄り、17時30分、日本橋にゴール。「北海道遺産めぐり」の「北海道一周」、終了。「東京ー青森」間は奥州街道の往復だった。全行程6003キロを走り抜いたスズキDRーZ400Sには、「ほんとうによくやったな」と、ねぎらいの声をかけるのだった。

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