小樽みなとと防波堤
投稿日:2010年11月19日
日本の港湾工学の父、廣井勇の業績
札幌から国道5号で小樽へ。小樽港と、小樽港を護る北防波堤(1540m)、南防波堤(816m)の長大な防波堤が北海道遺産になっている。
南防波堤の付け根にある「小樽みなと資料館」を見学。この小樽港の防波堤を設計した「日本の港湾工学の父」といわれる廣井勇博士の業績を詳しく紹介し、長大な防波堤の作り方や歴史を展示している。
天然の良港といわれる小樽港だが、いったん北からの強風に見舞われると押し寄せる荒波で港内に停泊している船が破壊されたり、港湾施設が被害を受けることがたびたびあった。
そのような被害から小樽港を護る大防波堤が計画され、そのうち、北防波堤の建設工事が始まったのは明治30年(1897年)5月のこと。工事責任者として初代の小樽港築港事務所長になったのが廣井勇氏だった。
明治32年12月の暴風雨の時、事務所に泊まりこんでいた廣井氏は夜半になって風がやや収まったのを見て、外へ出た。防波堤の堤体もクレーンも無事だったことを確認すると、天を仰いで神に感謝したという。
こうした苦労の末、明治41年5月、北防波堤は完成した。
ひきつづいて南防波堤建設の工事が進められ、大正10年(1921年)に完成した。こうして現在の小樽港の基礎が築かれたのである。
「小樽みなと資料館」の見学を終えると、右手に小樽港を見ながら、スズキDR-Z400Sを走らせる。
舞鶴や敦賀、新潟からのフェリーが到着するフェリーターミナル前でDRを停める。ここは多くのツーリングライダーにとっては、北海道ツーリングのスタート地点であり、ゴールになっている。
人気の小樽運河を見、運河公園へ。そこには廣井勇像が建っていた。
1862年(文久2年)高知生まれ。
札幌農学校第2期生。アメリカ、ドイツで橋梁工学・土木工学を学び、帰国後、札幌農学校工学科教授のち北海道の港湾改良と築港工事に携わる。
彼の指導による小樽港第一期工事は、日本の近代港湾建設技術を確立し、世界に高く評価された。
と、このように廣井勇博士を紹介している。
運河公園は洒落た公園だ。石張り舗装した広場には方位表示盤があり、噴水池がある。正面には旧日本郵船小樽支店の堂々とした建物(国指定の重要文化財)。ここは日本最大の船会社、日本郵船の「船入ま」だった。大型船の接岸できるような埠頭がなかった頃は、ここで貨物の積み下ろしをした。貨物を満載にした艀(はしけ)が船入まと沖合いに停泊している大型船の間を行き来した。
運河公園の噴水池は当時の船入まの4分の1の大きさで再現したものだという。
ここは小樽港発祥の地だ。