カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第3回 砥鹿神社

投稿日:2010年12月11日

2010年 林道日本一周・西日本編

 袋井ICで東名に入ると、天竜川を渡り、浜松IC、浜松西IC、三ケ日ICと通り過ぎ、静岡・愛知県境の宇利峠のトンネルを抜ける。この宇利峠は遠江と三河の三遠国境にもなっている。
 愛知県に入ると宇利峠のゆるやかな下りを一気に走り抜け、豊川ICで東名を降りる。
 国道151号を北へ。2キロほど走ると国道の右側に三河の一の宮、砥鹿神社(とがじんじゃ)がある。ここは東海地方の総鎮守としても知られている。
 駐車場にスズキDR-Z400Sを停め、鳥居をくぐり、参道を歩いていく。

日本人の心の中に色濃く残る「国」の気質

 表神門をくぐり、摂社、本社と参拝。摂社の二宮には「恵比寿さま」で知られる事代主命(ことしろぬしのみこと)がまつられている。三宮には「お諏訪さま」で知られる建御名方命(たけみなかたのみこと)がまつられている。三河はその昔、太平洋岸の海人族の信州への入口でもあったので、ここに「お諏訪さま」がまつられているのは意味深い。
 本社には遠江の一の宮、小国神社と同じ、「大黒さま」の大己貴命(おおなむちのみこと)がまつられている。これも興味深い。
 ぼくが「一の宮めぐり」をしているのは日本の「国」を知るためだといったが、日本を今の県ではなく、国で見ていくとより深く、面白く日本を見ることができる。
 県の歴史はたかだか100余年でしかないが、それに対して国の歴史は千何百年にもなる。我々、日本人のDNAには意識する、しないにかかわらず、色濃く「国」が影響しているものだ。
 愛知県は東の三河と西の尾張の2国からなっているが、三河と尾張はまるで違う。よくぞ同じ県でやっていられると思うほど。
 三河といえば「トヨタ」を思い浮かべるが、かつてのトヨタは徹底的に三河にこだわっていた。本社から主力工場まで、すべて国境をはさんだ三河側につくった。三河人気質がトヨタの強さだった。
 静岡県は伊豆、駿河、遠江の3国から成るが、とくに駿河と遠江は、尾張と三河のようにまるで違う。たとえば日本のバイクメーカー、ホンダ、ヤマハ、スズキの3社はすべて遠江で生まれたが、これは偶然ではない。間違っても駿河で生まれることはなかった。
 三河と遠江はすごく似ている。三河生まれの徳川家康が三河の岡崎城から尾張に出るのではなく、遠江の浜松城に移ったのもきっとそれが関係しているとぼくは思っている。
 三河の一の宮、砥鹿神社を参拝しながら、あれこれと日本の「国」を考えるのはなんとも楽しいひと時だった。

奥宮に続く本宮スカイライン

 ところでこの国道151号沿いの砥鹿神社は里宮になる。奥宮はライダーにも人気の本宮スカイラインで登っていく本宮山(789m)の山頂にまつられている。今回は残念ながら奥宮には行けなかったが、そこからは三河湾や浜名湖、南アルプスの連山、さらには富士山を一望できる。
 古代日本では本宮山は山自体が信仰の対象で、ここに大己貴命がまつられていた。それが山を下り、里宮でまつられるようになった。千年杉や大檜がおい茂る本宮山は、今でも神聖な山として崇拝されている。
 砥鹿神社の参拝を終えると、豊川ICへ。その途中にある食事処「のざわ」で昼食。ひつまぶし風の「うなぎ石焼めしランチ」を食べた。
 テーブルの上には食べ方が出ていたが、それによると、
「石鍋にタレを入れてよくかき混ぜ、まずはそのままで一杯。次に刻みのり、ネギを入れて一杯。最後にワサビと出し茶でサラサラとお茶漬けで一杯」
 とあった。
 いやー、うまい「うなぎ石焼めし」だった。

フォトアルバム



豊川ICから国道151号を北へ

砥鹿神社の鳥居
表神門をくぐり抜けていく


立派な建物の社務所
砥鹿神社の摂社


砥鹿神社の本社
食事処「のざわ」で昼食


「うなぎ石焼めしランチ」を食べる
これが3度楽しめる「うなぎ石焼きめし」


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