カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第23回 土佐神社

投稿日:2011年1月14日

2010年 林道日本一周・西日本編

一の宮「土佐神社」の境内はお遍路さんで賑わっていた

 夢の湯温泉を出発。国道195号を大栃方向に戻り、物部川を渡り、谷相林道の入口、谷相を目指して登っていく。
 山の斜面に開けた谷相の集落を抜け出、谷相林道に入っていく。だが、行けども行けども舗装路がつづく。とうとうダートに突入することなく、谷相林道の峠、松尾越まで来てしまった。もう、ガックリ…。
 1999年の「林道日本一周」のときは14・9キロのダート。存分にオフロードランを楽しませてくれるロングダートだった。
 松尾越からの下りも舗装路がつづく。このまま国道439号まで全線舗装か…と諦めかけた頃、幅広の舗装路から狭路に変り、ダートに突入。それもかなり荒れた路面でスズキDR-Z400Sをガンガン走らせた。ダート距離は3・4キロと短いものだったが、それなりにおもしろい走りを楽しめた。
 このわずか3・4キロのダート区間が残っていただけで、すごく救われた気分になる。
 国道439号→国道32号で大豊へ。
 大豊からは高知道で高知へ。
 高知ICで高速を降りると、県道384号で「一宮」の交差点を通り、土佐国の一の宮の土佐神社を参拝。ところで「一宮」は土佐国の一の宮に因んだ地名だが、これで「いっく」という。JR土讃線の「土佐一宮」駅も「とさいっく」駅になる。日本広しといえども「一宮」を「いっく」というのは土佐だけだ。
 この土佐神社がまたおもしろい。
「四国八十八ヵ所」第30番札所の善楽寺が隣りあっているが、土佐神社の境内の一角に善楽寺があるといった方がいいかもしれない。
 この寺はもともとは土佐神社の別当寺として弘法大師が開基した。
 長らく神仏混淆がつづいたが、明治維新の廃仏毀釈で廃寺になってしまい、再興されたのは昭和になってからのこと。明治維新に吹き荒れた廃仏毀釈の大嵐で、土佐にあった615寺のうち、何と448寺が廃寺になったという。
 土佐神社の参拝を終えたあと、善楽寺も参拝。本堂にも大師堂にも白装束の四国巡礼の人たちが多く見られた。片や土佐神社の参拝者といえばぼく1人。マイクロバスでやってきた団体さんも、誰一人として土佐神社は参拝しない。
「四国八十八ヵ所」人気で母屋をのっとられてしまった感のある土佐神社だ。
 次に「高知の大展望台」、標高138メートルの五台山に立った。展望台からの眺めは絶景だ。奥深くまで切れ込んだ浦戸湾を見下ろし、高知の町並みを一望する。そのすぐ背後まで山々が迫っているのがよくわかる。
 高知探訪の最後は高知城。高知は山内氏24万石の城下町。
 中心街にある高知城には正面の追手門から入った。足の痛みをこらえて石段を登り、4層6階の天守閣へ。今度は天守閣の上から高知の町並みを見下ろした。
 この城は初代藩主、山内一豊によって着工されたが、前任地の掛川城を模したものだという。そういわれてみると、「東海道53次めぐり」の掛川宿で見た掛川城に似ているような気もした。ということで掛川城の写真ものせておこう。

フォトアルバム



谷相林道入口の谷相

谷相林道の峠、松尾越
谷相林道のダートに突入!




土佐神社を参拝

善楽寺の本堂
善楽寺の大師堂


五台山から眺める高知の町並み
高知城の追手門


高知名物「アイスクリン」の売場
高知城の天守閣




掛川城

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