番外編 江の川の峠 2
投稿日:2011年1月29日
2010年 林道日本一周・西日本編
前回の「江の川の峠・その1」では、広島県の三次を出発点にし、中国地方最大の川、江の川本流の峠を越え、また、三次に戻ってきた。
三次盆地の中心の三次はまさに「江の川の町」といったところで、江の川本流の可愛川と、支流の神野瀬川、西城川、馬洗川がこの町で合流している。
まるであっちからもこっちからもという感じで、四方八方から大きな川が三次に流れ込み、江の川となって日本海に流れ出ていく。
今回の「江の川の峠・その2」では、支流の神野瀬川と西城川流域の峠を徹底的に越えようと思うのだ。
まずは赤名峠だ!
「江の川の峠・その2」の出発点は三次駅前。ぼくは鉄道の駅が大好き。ということで、このようにしばしば駅を使う。
三次駅前にスズキDR250Sを停め、カンコーヒーを飲みながら地図を見る。地図は昭文社の「分県地図」の「広島県」。
「よし、この峠を越えよう、この峠も越えてやる!」
地図を見ながらのこのプラニングの時間は、まさに至福の時!
「バイク1台と地図1枚があれば、もう人生、ほかに何もいらない!」
と、そう思えるほどだ。
三次駅はJR芸備線の駅だが、そのほか江の川河口の江津(ごうつ)に通じる三江線と瀬戸内海の福山に通じる福塩線が出ている。さて、三次駅前を出発。キック一発、DRのエンジンをかけ、アクセルをひと吹かしして走り出す。
三次の町をひとまわりしたところで国道54号に入る。
前回でも走った国道54号は広島と松江を結ぶ中国縦貫の幹線。まずはそんな国道54号の広島・島根県境の峠、赤名峠に向かっていく。
神野瀬川の支流、布野川に沿って走り、三次盆地から山間の地に入っていく。布野村だ。谷間には点々と集落がつづく。田植えの終ったばかりの水田がきれいだ。
赤名峠の登りがはじまる。ゆるやかな登り。DRのアクセルを吹かし、速度を上げ、一気に峠へと登っていく。
赤名峠に到着。三次から18キロ。赤名峠はトンネルで貫かれているが、トンネルの入口でDRを停めた。
赤名峠は標高580メートル。山陽と山陰を結ぶ昔からの重要な峠だ。峠のトンネルを抜け、広島県から島根県に入っていく。島根県側の山間の水田もすでに田植えが終っていた。田植えの終ったばかりの水田というのは、しみじみとした日本の美しさを感じさせてくれる。
島根県側の国道54号沿いには赤白のスノーマーカーが点々と立っているが、その高さが日本海側の雪の多さを示していた。同じ江の川の流域だが、中国山地の北側と南側では積雪の量が違う。
赤名峠を下ると、赤来町の中心の赤名に着く。赤名峠は「赤名」に由来している。
赤名からさらに頓原町の頓原(とんばら)まで下り、そこで折り返し、もう一度赤名峠を越え、三次に戻った。
神野瀬川の流れに沿って…
三次では商店街の食堂で昼食にし、三次駅前の喫茶店で食後のコーヒーを飲み、さー出発だ。
三次市から君田村に入り、今度は江の川の支流、神野瀬川に沿って走る。広々とした三次盆地の水田地帯から、狭い谷間に入っていく。川沿いの道も狭路に変わる。DRのエンジン音を響かせ、神野瀬川の流れを見ながら走った。
沓ヶ原ダムという小さなダムに出る。地図を見ると、そこには沓ヶ原温泉がのっている。おそらく一軒宿の温泉なのだろう、木造の建物は朽ち果て、今は誰もいない。
「ちょっとひと風呂、浴びていこう」
と思っていただけに残念だ。
沓原ダムを過ぎると、神野瀬川の両側に迫る山々は高く険しくなる。
君田村から神野瀬川源流の高野町に入る。沓原ダムよりははるかに大きい高暮ダムの脇を通り、ダム湖を見ながら走る。水量が減って、湖底を見せているダム湖の姿が痛々しい。
三次から60キロ、谷間を抜け出し、高野町の中心、新市に到着。このあたりはまわりを山々に囲まれた小盆地の風景だ。
神野瀬川源流の峠越え
高野町の新市からは、神野瀬川源流の峠を越える。
まずは国道432号の王貫峠・新市からはゆるやかな登りがつづき、7キロほどで広島・島根県境の王貫峠に到達。中国山地は全体になだらかな山並みなので、峠道もゆるやかだ。
国道432号は広島県側は2車線でセンターラインもあるが、島根県側に入ると、とたんに道幅が狭くなる。広島と島根、両県の経済力の違いをこれみよがしに見せつけているようで、あまり気分のいいものではない。
王貫峠を越えて島根県の仁多町(にたちょう)に入る。峠の下りは、広島県側の登りに比べたらはるかに急な勾配。高野町の新市から20キロで仁多町の中心の三成(みなり)に着く。積み重なった古い歴史を感じさせる三成の町並み。その中央を斐伊川(ひいかわ)が流れている。この川は出雲(島根県の東半分)では一番大きな川になっている。
ところで斐伊川といえば、出雲神話のヤマタノオロチ伝説で有名だ。
高天原(たかまがはら)を追われた須佐之男(すさのお)命は、この出雲の斐伊川にやってきた。川上から箸が流れてくるのを見て、人が住んでいるのに違いないと、上流へとさかのぼっていく。すると1軒の家があり、年寄り夫婦と若い美しい娘が泣いていた。
「山の奥にヤマタノオロチが住んでいます。頭が8つあって、目がホウズキのように真っ赤に燃えています。尾も8つで、背中には木がはえています。家には8人の娘がいましたが、7人までがヤマタノオロチに食べられてしまいました。今度はこの娘の番なのです」 そんな話を聞くと、須佐之男命は策略をめぐらし、ヤマタノオロチを見事に退治する。そのあと美しい娘(奇稲田姫(くしなだひめ))を妻にするのだが、須佐之男命といったら出雲の国造の祖。神話や伝説というのは架空の作り話とは違う。それに興味を持って日本各地をめぐると、ツーリングもよりおもしろいものになる。
さて三成を折り返し地点にし、もう一度王貫峠を越え、高野町の新市に戻った。
新市からは神野瀬川に沿ってさらに走り、源流の峠、俵原越に向かっていく。神野瀬川の流れはどんどん小さくなり、最後はチョロチョロとした流れに変わる。
俵原越も王貫峠と同じように、広島・島根県境の峠。樹木が覆いかぶさるようにうっそうと茂っているので、見晴らしはよくない。峠を越えて島根県側に入り、道幅の狭い峠道を下り、さきほどの仁多町の三成に出た。
三成からは来た道を引き返し、もう一度俵原越を越え、高野町の新市に戻った。
神野瀬川源流の最後の峠は大居峠。これで「オオイダオ」になる。中国山地では峠のことを「タワ」とか「タオ」ということが多い。
さて、すっかりなじんだ高野町の新市から国道432号を走り、俵原越への道との分岐点を過ぎると、じきに王居峠。峠のすぐ近くまで民家がある。峠には王居峠神社がまつられている。
王居峠の高野町側はゆるやかだが、峠を越えた比和町側は急坂だ。峠を境にして神野瀬川の水系から、江の川のもうひとつの支流、西城川の水系へと変わっていく。峠を下っていくと前方には幾重にも重なり合った中国山地の山々が見えてくる。正面にはこのあたりの中心を成す比婆山が見えている。
その夜は王居峠下の比和町の比和温泉に泊まった。ここは一軒宿の温泉。「あけぼの荘」に泊まったのだが、1泊2食5000円と安い。ここは比婆山探訪の拠点になっている。
「鬼の舌震」って何?
翌日は比和温泉からふたたび王居峠を越え、さらに俵原越を越え、島根県に入り、仁多町の三成に下った。
三成の近くにある名所の「鬼の舌震(おにのしたぶるい)」を見にいく。
「えー、鬼の舌震え…って、何?」
その名前に興味を引かれた。
斐伊川の支流、馬木川が花崗岩を浸食し、深い峡谷をつくっている。駐車場にDRを停め、遊歩道を歩きながら「小天狗岩」や「ほんど岩」といった奇岩を見ていく。この奇岩・巨岩がそそり立つ峡谷が「鬼の舌震」。ここは出雲神話の舞台で、案内板には興味深い説明が書かれていた。
「鬼の舌震とはいかにも恐ろしそうな名前ですが、この名の由来は出雲風土記によれば次のようなものです。阿井の里に美しい姫が住んでいました。この姫を慕って日本海に住む悪いワニが夜な夜な川をさかのぼってきました。姫はこのワニを嫌って大岩で馬木川をせき止め、姿を消してしまいました。しかしワニの姫に対する気持ちは変らず、その後も幾度となく川をさかのぼってきたと記されています。この『ワニの慕ぶる』が転訛して『鬼の舌震』になったといわれています」
このように昔も今も美人は大変だ…。
「鬼の舌震」の説明に出てくる「ワニ」は興味深い。「ワニ」とは「サメ」なのか。この説明では、ワニが何なのか、特定はしていない。
よく知られている「因幡の白兎」伝説でもワニが登場する。白兎はワニを海上に並ばせ、その上をピョンピョン飛び跳ねて海を渡ろうとするのだが、そのワニとはサメのことである。
今回の峠越えの拠点になった三次の名物は「ワニ料理」。これもサメ料理のことである。日本海から入ってくるサメが使われている。
だが、「鬼の舌震」のような中国山地の奥深い峡谷にサメが入ってくるのだろうか。
それでは何なのか。
ワニには渡来人の意味もあるようだ。それだと理屈に合う。大陸から日本海を渡ってやってきた渡来人たちは、海岸地帯から内陸に入り込み、そこで古来の日本人と衝突する…。
それともうひとつは「鬼の舌震」の「オニ」だ。
日本人の誰もが知っている鬼も、よく考えてみると、謎だらけの存在。「オニ」にも渡来人の意味がある。
「鬼の舌震」に登場する「ワニ」もしくは「オニ」は渡来人なのか。バイクに乗りながらそんなことを考えるのは、何とも楽しいことだった。
ループ橋の峠
仁多町の三成からは国道314号で島根・広島県境の峠に向かっていく。
斐伊川に沿って走り、仁多町から横田町に入っていく。峠下の集落、坂根からは完成したばかりのループ橋で峠を登っていく。
日本のループ橋というと九州の国道221号の加久藤峠や伊豆の国道414号の天城峠などのループ橋が有名だが、国道314号のループ橋もそれらに負けてはいない。高低差170メートルの2重ループなのだ。
ループ橋を登ってたどり着いた斐伊川源流の峠は三井野原高原の開けた風景。JR木次(きすき)線の三井野原駅があるし、スキー場があるし、ちょっとした家並みもある。あまりにも平坦なので峠名はないが、ここでは「三井野峠」としておこう。
三井野原駅近くの食堂に入り昼食にする。出雲名物の割子そばを食べる。3段に重ねた円形の器にそばが入っているが、それを1段づつ、そばにつゆをかけて食べていく。出雲は西日本では数少ないソバの名産地だ。とくに三瓶山(さんべさん)麓のソバはよく知られている。
その食堂の壁には、出雲の方言集が貼られていた。
だんだん(ありがとう)
ばんじまして(夕方のあいさつ)
ちょんぼし(すこし)
まくれる(ころぶこと)
………
三次に戻ってきた!
島根・広島県境の三井野峠のすぐ東には、標高1004メートルの三国山がある。島根・広島・鳥取の3県境の山で、昔の国名でいうと、出雲・備後・伯耆の3国境の山になる。
三国山は日本各地にあるが、とくにこのあたりには多い。三井野峠にも近い道後山の東側にある三国山は備中・備後・伯耆の3国境、国道54号の赤名峠西側の三国山は出雲・岩見・備後の3国境になる。
三井野峠を越えて広島県に入る。ループ橋が必要なくらい急な登りの島根県側とは打って変わって、広島県側はゆるやかな下りだ。
国道314号の脇を小川が流れているが、これが江の川の支流、西城川の源流になる。どんなに大きな川でも、その源というのはかわいらしいものだ。
西城川の流れに沿って走る。山間の一軒宿の温泉、比婆山温泉の前を通り、国道183号に合流するあたりになると、西城川は成長し、かなりの水量の川になっている。
西城川に沿って国道183号を走る。西城の町に入るころには、西城川は大河の風格を漂わすくらいの大きな川になっている。そんな西城川を見ながら庄原まで行った。
庄原からは国道432号で今朝、出発した比和温泉のある比和へ。王居峠の下で国道と分れ、広島・島根県境にそびえる比婆山の山裾を走る。
比婆山を中国山地を代表する山のひとつだが、吾妻山(1240m)、烏帽子山(1225m)などの山々を総称して比婆山と呼んでいる。謎の怪獣「ヒバゴン」のふるさとだ。
さきほど通り過ぎた比婆山温泉に戻り、ひと晩、泊まる。ここには一軒宿の「熊野湯旅館」がある。1泊2食6800円。この地方ではよく知られた熊野神社が近くにある。
翌日は「江の川の峠・その2」の最後となる国道183号の鍵掛峠へ。地元の人たちは「かっかけ峠」と呼んでいる。広島・鳥取県境の鍵掛峠に到達すると、DR250Sを峠に停め、しばしの休憩。そのあと鳥取県側に入り、日南町の中心、生山まで行った。
生山で折り返し、もう一度、鍵掛峠を越えて広島県に入り、西城、庄原と通り三次に戻ってきた。
長野市在住のKさんから、うれしいメッセージをいただいた。
Kさんは島根県の出雲側、旧三刀屋町(現雲南市)の出身だ。
まずはそのメッセージを紹介しよう。
我がふるさと島根の話でめちゃくちゃうれしいです。
国道54号線に面した家で育った僕にとってこの道はまさにふるさとそのものです。
広島まで抜けたことは数えるほどしかありませんが、ちょうど1992年ごろ結婚したので、かみさんをつれて、三次IC経由で、高速をひとっ走り帰省したことが思い出されます。
到着が夜になって、夜中の54号線を実家まで走りました。
真っ暗な山の中のなにもない道、長野の田舎者のくせに、かみさんが、
「こんな寂しいところは2度と来たくないと」
言ったの思い出しました。
さて、出雲地区(島根県東部)出身の僕にとって、川はやっぱり斐伊川なのですが、江の川(ごうのかわなんですが、たしか、ごうがわって呼んでたような……)も、島根が誇る大河として自慢の川です。
へー、中国山地を横切っていたのかと、この年になって初めて知りました。
高校までしか居なかったので、よく考えたら、あんまりふるさとの周辺って走っていないなぁと思います。
今度バイクで帰って走り回ってみたいと思います。
Kさん、メッセージをありがとうございます。
ふるさとってほんとうにいいものですね。
東京生まれ、東京育ちのぼくにとっては、(これといったふるさとがないことが)この年になると、すごく残念に思われます。
まあ、それは置いて、「江の川(ごうのかわ)」ですが、おっしゃる通り、島根県側では「江川(ごうがわ)」が一般的ですよね。しかし、同じ島根県といっても江川は石見の大河、出雲の大河といえば斐伊川になるのですね。
それとKさん、この場をお借りしてひとつ伝えておきたいことがあります。
前回の「江の川の峠・その1」では三坂峠、中三坂峠、亀谷峠と、中国山地の島根・広島県境の3峠を越えました。
今回の「江の川の峠・その2」では赤名峠、王貫峠、俵原越、三井野峠と、同じく中国山地の島根・広島県境の4峠を越えました。
これら中国山地の峠は、もし江の川が中国山地を破らずに瀬戸内海に流れていたら、すべて日本海と瀬戸内海に二分する中央分水嶺の峠になっているところでした。
ぼくが何をいいたいかというと、中国山地の島根・広島県境のうち、三国山から畳山までの間は、日本でもきわめて稀な所になっているということです。
中央分水嶺は日本列島を二分する線。その線は1本の線となって、北は北海道・宗谷岬から南は九州・佐多岬まで結ばれていますが、その間、中国山地の三国山から畳山までの間は江の川のおかげで、ものすごくわかりにくいものになってます。その線はぐーっと南へ、瀬戸内海に近いところまで下がっています。前回の「江の川の峠・その1」で紹介した上根峠などもそのひとつです。
Kさん、島根・広島県境の中国山地の「三国山-畳山」間は、「峠のカソリ」泣かせの区間といってもいいほどのものなんですよ。