カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

東北を走ろう! 名城編

投稿日:2011年5月5日

夏草や 兵どもが 夢のあと、歴史に迫る名城へ走ろう

江戸期、石高10万石以上が大藩の目安とされた。東北には仙台藩の56万石を筆頭に米沢藩(30万石)、会津藩(23万石)、南部藩(20万石)、秋田藩(20万石)、山形藩(15万石)、庄内藩(14万石)、津軽藩(10万石)、二本松藩(10万石)、白河藩(10万石)と、10万石以上の大藩が10あった。それら10藩の城を紹介しよう。「名城めぐり」はおもしろい。まさに歴史に迫るもの。さー、東北を走ろう! 名城をめぐりながら東北の歴史を知ろう!

城名のあとの数字とアルファベットは『ツーリングマップル東北』のページ数、位置を示しています。たとえば弘前城の88H-1は88ページのH-1を意味しています。

1、弘前城 津軽藩;10万石[青森県]88H-1
弘前は津軽氏10万石の城下町。弘前城は「日本七名城」のひとつに数えられる名城。「現存十二天守」のひとつで、9代目藩主、寧親(やすちか)の時代に再建された3層の天守閣(写真)と、3つの櫓、5つの城門が残っている。城跡は弘前公園になっている。


2、盛岡城 南部藩:20万石[岩手県]68E-1
盛岡は南部氏20万石の城下町。不来方(こずかた)城とも呼ばれた盛岡城は明治7年に撤去され、今は花崗岩の石垣と内堀が残るだけ…。それが寂しい。石川啄木と宮沢賢治の歌碑。城跡は岩手公園になっている。写真は本丸跡。


3、久保田城 秋田藩:20万石[秋田県]65J-1
秋田は佐竹氏20万石の城下町。その居城が久保田城。秋田は久保田といわれた。久保田城は天守閣と石垣のない城で、土塁や濠が残っている。写真は再建された久保田城の表門。城跡は千秋公園になっている。


4、仙台城 仙台藩:56万石[宮城県]34H-5
仙台は伊達氏56万石の城下町。仙台藩の石高は加賀、薩摩、尾張に次ぐもの。仙台城は青葉城と呼ばれた。石垣が残るだけで、本丸跡には伊達政宗像が建っている。そこからは仙台の中心街を一望する。写真は再建された隅櫓。


5、鶴岡城 庄内藩:14万石[山形県]44A-4
鶴岡は酒井氏14万石の城下町。鶴岡城は堀(写真)が残るだけだが、本丸跡には藩祖をまつる荘内神社があり、桜の名所になっている。城跡は鶴岡公園。それに隣接して藩校の「致道館」と「致道博物館」がある。


6、山形城 山形藩:15万石[山形県]33D-5
山形は松平氏15万石の城下町。霞城(かすみがじょう)とも呼ばれた山形城には、二の丸堀と石垣が残っただけ。再建された東大手門(写真)をくぐると最上義光の像が建っている。山形は最上氏の時代には隆盛を誇ったが、お家騒動で幕府に所領を没収され、東北の名家最上氏は滅んだ。城跡は霞城公園になっている。


7、米沢城 米沢藩:30万石[山形県]23J-1
米沢は上杉氏30万石の城下町。舞鶴城とか松岬(まつがさき)城と呼ばれた。現在は土塁と堀が残るだけだが、そこには藩祖上杉謙信をまつる上杉神社(写真)がある。謙信の銅像も建っている。城跡は松岬公園になっている。


8、若松城 会津藩:23万石[福島県]13D-1
会津若松は保科氏、松平氏とつづいた23万石の城下町。保科正之が名君だといわれている。鶴ヶ城とも呼ばれた若松城は明治元年の戊辰戦争で落城後、取り壊されたが、昭和40年に天守閣(写真)が復元された。そこからは会津盆地を一望する。


9、二本松城 二本松藩:10万石[福島県]19G-4
二本松は丹羽氏10万石の城下町。二本松城は霞ヶ城とも呼ばれ、城跡は霞ヶ城公園になっている。復元された箕輪門(写真)の前には「二本松少年隊」の像が建っている。丹羽氏以前には畠山氏の築いた山城の霧ヶ城があった。


10、小峰城 白河藩:10万石[福島県]8M-3
白河は本多氏10万石の城下町。白河駅前にある小峰城は白河城とも白河小峰城ともいわれる。ここは盛岡城、若松城とともの「東北三大名城」といわれた。復元された三重の櫓(写真)は美しい。城跡からは那須連峰の山々を眺める。


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