アドレス日本一周 west[29]
投稿日:2012年12月21日
今も残るめはりずしと捕鯨船
熊野那智大社から国道42号に戻る途中では、那智温泉でアドレスを止め、「蓬莱の湯」(入浴料420円)の大浴場と露天風呂に入った。湯から上がると昼食。南紀名物の「めはりずし」が皿に3個のった「めはり定食」(630円)を食べた。
「めはりずし」というのはタカナの漬物の茎を細かく刻んで飯に混ぜ、大きなお握りを握り、それをタカナの漬物の葉で包み込んだもの。もともとは、山仕事に出かけていく男たちの弁当だった。目を見張るような大きさなので、その名があるという。
「蓬莱の湯」のめはりずしは食べやすくしてあるのでひとつひとつは小さい。だがぼくは以前、これぞ本物というめはりずしを食べたことがある。
もう何年も前のことになるが、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社とバイクで「熊野三山」をめぐり、そのあと平家の落人伝説の残る色川郷に行った。
最奥の篭という集落には一軒だけ店があり、パンと牛乳を買って昼食にした。パンをかじり、それを牛乳で流し込みながら、店の奥さんと話した。
色川郷の一帯は、昔から林業の盛んなところだった。だが若者たちは新宮や大阪に出てしまうので、村は寂しくなり、労働力不足からほったらかしにされる山が多くなったと嘆いていた。
店の奥さんは、ぼくがパンを食べ終わり、牛乳を飲み干すのを見届けると、大皿にめはりずしを3つのせ、「食べなさい」といって持ってきてくれた。そのめはりずしというのは、ソフトボールぐらいの大きさなのである。
「めはりずしというのはね、あんまりにも大きいので、目をパチクリさせて食べるところからその名があるって、聞いてますよ」
と店の奥さんはいった。遠慮なく3つのめはりずしをいただいたが、立ち上がるのが苦しくなるほど満腹になった。
那智からはマグロの水揚げ港で知られる勝浦港に寄ったあと、太地の小半島、常渡半島に入っていく。
太地はかつての日本一の捕鯨基地。町の入口にはクジラ像のモニュメントが建っている。半島北端、鷲ノ巣崎の「くじらの博物館」では鯨の生態や捕鯨に関する資料が展示され、中世から現代にいたるまでの捕鯨の歴史を見てまわれる。海岸には南氷洋捕鯨で大活躍した捕鯨船(キャッチャーボート)の「第十一京丸」が展示されている。
半島北東端の燈明崎には復元された「行灯式燈明台」。日本初の鯨油を使った燈明台で寛永13年(1636年)に造られた。1夜で3合(540リットル)から4合(720リットル)の鯨油が使われたという。「古式捕鯨山見台」もある。ここは捕鯨の司令塔的な場所で、回遊する鯨を発見すると海上の勢子舟や網舟に指令を送ったという。熊野灘を一望する梶取崎の園地の一角には「くじら供養碑」が建っている。
半島のつけ根に位置する太地漁港は、太地湾の一番奥まったところにある天然の良港。波ひとつない湾内は漁船でうめつくされていた。
昭和55年に南氷洋での母船式捕鯨が禁止、昭和63年には商業捕鯨が全面的に禁止され、世界一の捕鯨大国日本は大打撃を受けた。「クジラの町」太地も、大きな影響を受けた。
それでも太地では細々とではあるが、捕鯨がつづけられている。ごく限られた沿岸捕鯨である。太地港所属の捕鯨船は2隻あるとのことで、そのうちの1隻を港内に見ることができた。船首には「大砲」と呼ぶモリを備えつけている。もう1隻は、銚子沖で操業中とのこと。この捕鯨船ではゴンドウクジラのうち、マゴンドウを捕っているという。
捕鯨船のほかに、突き漁でクジラやイルカを捕る漁船(小船)が、何隻か停泊していた。これら突き漁の漁船はゴンドウクジラのうちのハナゴンドウと、バンドウイルカ、スジイルカ、アラリイルカなどのイルカを捕っている。
太地から国道42号に戻ると串本へ。
古座川の河口を渡る。河口を跨ぐ橋の上からの眺めがすごくいい。上流側に目をやると、ゆるやかに連なる紀伊半島の山々を背景にした古座川の流れは一幅の絵のような美しさ。古座川は海に流れ出るまでが清流だ。
南紀のシンボル、橋杭岩ではアドレスを止めた。大小40の岩がまるで杭を打ったかのように一列に並んでいる。それぞれの岩には名前がついている。対岸は紀伊大島。今回は引き潮で干上がった橋杭岩を見た。
ちょうど台湾からの観光客が来ていた。駐車場から海岸に降り、みなさんと一緒に橋杭岩を歩いた。
本州最南の町、串本に着くと、串本温泉「さんごの湯」(入浴料200円)に入る。無色透明の湯だが、ニガリのような塩味がする。本州最南の温泉に入りながら、本州最北の大間温泉を想った。湯から上がると「とろけるマンゴー」(120円)を飲み、JR紀勢本線の串本駅前に行った。