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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[30]

投稿日:2012年12月22日

岬と御崎

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 JR紀勢本線の串本駅から串本漁港に行き、岸壁にアドレスを止め、対岸の紀伊大島を眺める。串本にやってくると、
「ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ巡航船…」
 と、ついつい口ずさんでみたくなる「串本節」だが、紀伊大島への渡船はかつてはここから出ていた。
 串本から本州最南端の潮岬に向かう。その途中、ループ橋のくしもと大橋で紀伊大島に渡った。
 紀伊大島は島全体がゆるやかな丘陵地帯。しかし海岸線は断崖絶壁の連続だ。その中でも「海金剛」の海岸美はすばらしい。ぼくは2001年にバイクで北朝鮮を走ったが、一番の絶景ポイント、金剛山の山並みが海に落ちる「海金剛」には目を奪われた。紀伊大島の「海金剛」は、その北朝鮮の「海金剛」に負けないくらいの海岸美だ。
 紀伊大島の行止まり地点が樫野崎。ここには「トルコ記念館」がある。明治23年(1890年)に難破したトルコの軍艦「エルトブロール号」の資料が展示されている。
 樫野崎突端の灯台は明治3年(1870年)初点灯。現存する石造りの灯台としては日本最古のものになる。
 慶応2年(1866年)に欧米4ヵ国と結んだ江戸条約で全国8ヵ所に灯台が設置されたが、樫野崎の灯台はそのひとつ。観音崎、野島崎についで3番目に完成した灯台。江戸条約の8灯台は次のようなものだが、この地には樫野崎と潮岬の2箇所に灯台ができた。
 1、観音埼灯台 [神奈川](1869年初点灯)
 2、野島埼灯台 [千 葉](1870年初点灯)
 3、樫野埼灯台 [和歌山](1870年初点灯)
 4、神子元島灯台[静 岡](1871年初点灯)
 5、剣埼灯台  [神奈川](1871年初点灯)
 6、伊王島灯台 [長 崎](1871年初点灯)
 7、佐多岬灯台 [鹿児島](1871年初点灯)
 8、潮岬灯台  [和歌山](1873年初点灯)

 樫野崎で折り返し、紀伊大島横断の県道40号を走る。再度、ループ橋のくしもと大橋を渡り、県道41号で潮岬へ。
 岬への道沿いには点々と集落があるが、家周りや畑周りの防風林が目につく。潮岬は室戸岬と並ぶ日本の「台風銀座」だ。
 岬周辺の旧潮岬村は、移民の盛んな村だった。明治17年のオーストラリア・木曜島への移民を皮切りに、ジャワ島、フィリピン、ブラジル、ハワイと、戦前までに500人以上の村人たちが海を越えて移り住んでいった。
 なかでもオーストラリアへの移民が一番多かった。その大半は木曜島への移民で、アラフラ海で真珠貝を採った。
 昭和9年には直接アラフラ海に出漁するようになり、それ以降、村は「アラフラ景気」に沸いた。昭和13年にはアラフラ船団のうちの2隻が遭難し、死者40人という大惨事が起きている。それにもかかわらず、アラフラ海への出漁は昭和36年までつづいた。
 潮岬の2つの「本州最南端碑」を見たあと、潮岬の灯台に登った。
 潮岬灯台は樫野埼灯台よりも3年遅い明治5年(1873年)の完成。最初は木造だったが、明治11年に現在の石造りになった。
 灯台の上からは潮岬先端の岩礁地帯と、緑濃い樹林の中に埋もれるようにして建つ潮御崎神社を見下ろした。そのあと灯台の資料館を見学し、参道を歩いて潮御崎神社を参拝した。
 この「潮御崎神社」の名前からもわかるように、神々の宿る岬は、我々日本人にとってはまさに「御崎(みさき)」で特別な場所。漢字の「岬」というのは山々が平地に落ち込むあたりを指すもので、「御崎」とはちょっと違う「山崎」などの意味になる。今回の「日本一周」ではそのようなことも考えながら、徹底的に岬をめぐるのだ。

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串本漁港から紀伊大島を見る
潮岬の園地


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潮岬の「本州最南端碑」
もうひとつの「本州最南端碑」


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潮岬灯台の入口
潮岬灯台


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資料館に展示されている灯台のレンズ
資料館に展示されている灯台の歴史


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潮岬先端の岩礁地帯
潮御崎神社を見下ろす


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潮御崎神社の参道
潮御崎神社の本殿


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