カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[40]

投稿日:2013年1月8日

豊後水道に臨む

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 土佐くろしお鉄道の終点、宿毛駅前を出発。国道56号を北へ。正木トンネルを抜けて高知県から愛媛県に入る。
 愛南町の中心、御荘に着くと、まずは「四国八十八ヵ所」第40番札所の観自在寺に行く。第1番の霊山寺からは最も遠い札所だ。
 門前の狭い道を走り、スズキ・アドレスV125Gを停めると、山門をくぐり、本堂、大師堂の順に参拝。ここでは境内にある十二支の石造の守本尊にも手を合わせた。カソリの干支は亥年。その守本尊の阿弥陀如来像に水をかけた。
 観自在寺の参拝を終えると、次に国道56号を横切り、高茂岬のある船越半島に入っていく。岬への途中の浦々はどこも養殖漁業が盛ん。入江はハマチやタイ、フグなどの養殖筏や養殖用の生簀で埋め尽くされている。「海の畑」といった光景を眺めながら、アドレスV125Gを走らせた。
 外泊の石垣集落を見たあと、船越半島南西端の高茂岬へ。
 高さ100メートル以上の断崖絶壁に囲まれた高茂岬は寂しいところで、岬周辺には人家も人影もない。岬の先端に立つと、豊後水道の向こうには、九州の山並みがはっきりと見えた。対岸は九州最東端の鶴御崎になる。
 高茂岬は豊後水道の要衝の地。戦時中はここに海軍の軍事施設があり、岬の案内板には次のように書かれている。

ここには戦時中、海軍呉鎮守府所属の高茂術所があり、この跡地は、ほぼ原型をとどめている。昭和16年(1941年)の太平洋戦争が始まる直前、術所には3棟の兵舎が完成し、約40人の兵士が勤務した。豊後水道に侵入する敵艦船に備え、海中には600キロの設置機雷72個を敷設、終戦前には60キロの触角機雷4800個も投入し、海底には6基の水中聴音機を備え付けて日夜、海の監視にあたっていた

 高茂岬につづいて船越半島最南端の鼻面岬でもアドレスV125Gを止めた。そこからは高知県の鵜来島と沖ノ島がよく見えた。
 こうして高茂岬、鼻面岬の2つの岬をめぐったあとは、船越半島の反対側、東側の海岸線を走り、御荘の町に戻った。

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宿毛駅前を出発
高知・愛媛県境の正木トンネル


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第40番札所観自在寺の参道
観自在寺の山門


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観自在寺の本堂
観自在寺の大師堂


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観自在寺の十二支の守本尊
高茂岬へ


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宇和海の入江を見下ろす
高茂岬近くの漁港


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養殖筏が海面を埋めつくす
高茂岬の灯台


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高茂岬から九州の山々を見る
鼻面岬から四国の島々を見る


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