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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[68]

投稿日:2013年2月5日

秀吉の壮大な夢の跡

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 yoshiさんとの旅はさらにつづく。
 呼子から呼子大橋を渡って加部島に渡った。その昔は姫島と呼ばれ、朝鮮、中国との交易の拠点として栄えた島だ。佐賀県内では最古といわれる田島神社に参拝。ここでは奉納されている蒙古軍船の碇石を見た。
 田島神社に隣り合った「郷土歴史資料館」(無料)を見学し、「風の見える丘公園」の展望台に立った。そこからは目の前に小川島、左に加唐島、松島、はるか遠くには壱岐が見える。島最北端の岬、ツイタ鼻には灯台。その周辺は広々とした牧草地になっている。島の最高峰、天竜岳にも登った。「加部島一周」は10キロだった。
 呼子に戻ると、次に名護屋城址(入場料100円)を歩いた。
 名護屋城址は豊臣秀吉が大陸に賭けた壮大な夢の跡。名護屋城は1592年から94年の文禄の役、1597年から98年の慶長の役と、2度にわたる朝鮮半島出兵の大本営になった。5層7重の天守閣を持った城はわずか5ヵ月で完成したという。
 城を中心にした広い範囲に徳川家康、前田利家、上杉景勝…と、豪華な顔ぶれの諸大名たちが陣を張った。現在、全部で126ヵ所の陣跡が確認されている。
 今の名護屋城は石垣が崩れ、本丸跡は広々とした草原になっている。そんな草原に大の字になってひっくり返り、青空を見上げていると、どこからともなく大名たちの声が聞こえてくるようだった。
 名護屋城址を歩いたあとは「名護屋城博物館」(入館無料)を見学。復元された名護屋城の模型は迫力満点。それと日本水軍の安宅船と朝鮮水軍の亀甲船の模型が目を引いた。
 yoshiさんとの旅の最後は波戸岬だ。岬の周辺は海中公園。円形の海中展望台が建っている。ビジターセンターもある。
 遊歩道を歩いて岬の先端に立った。すると驚いたことに、目の前の松島と加唐島の向こうに壱岐が横たわり、さらにその向こうに対馬が霞んで見えた。
 波戸岬の先端には、石垣で囲った荒岬神社がある。そこに居合わせた地元の老人に聞くと、対馬が見えるのは年に数回のことでしかないという。
 対馬の向こうはもう朝鮮半島。こうして波戸岬から壱岐、対馬を見ると、歴史の舞台に立っているような気分になる。大陸への侵攻を目指した秀吉が大本営をこの地に築いたのも、もっともなことだとうなずけるのだった。
 波戸岬を歩いたあと、岬の食堂で「イカの塩焼き」(500円)を食べた。

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名護屋城址の碑
名護屋城址から呼子大橋を見る


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名護屋城の天守台跡
名護屋城址から壱岐を見る


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波戸岬にやって来た!
波戸岬から壱岐・対馬を見る


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波戸岬突端の灯台
波戸岬の荒神社


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波戸岬の「イカの塩焼き」
波戸岬の「サザエの壷焼き」


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