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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[74]

投稿日:2013年2月11日

天草四郎時貞生誕の地

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 10月14日。「東横イン」の「おにぎり&味噌汁」の朝食を食べ、熊本駅前を出発。時間は7時半だ。スズキの125ccスクーター、アドレスV125Gを走らせ、国道3号→国道57号で宇土半島に入っていく。右手に有明海の遠浅の海を見ながらアドレスを走らせる。
 宇土半島突端の三角に到着。JR三角線の終点、三角駅前でアドレスを止める。三角は天草の玄関口になっている。
 三角からは国道266号を行く。宇土半島と天草諸島を結ぶ幹線国道なので交通量が多い。天草五橋の1号橋、天門橋を渡って大矢野島に入る。「天門」とは「天草の門」からきているが、まさに「天草、ここより始まる!」といったところだ。天草諸島は大小合わせて110余の島々からなる日本でも最大級の群島だ。
 国道266号沿いにある「天草四郎メモリアルホール」(入館料600円)を見学。大矢野島は「島原の乱」で16歳にして首領になり、戦死した天草四郎時禎の生まれた島だといわれている。天草四郎は永遠の美少年、英雄として今でも天草人の心にしっかりと刻み込まれて残っている。
 寛永14年(1637年)に起きた「島原の乱」は、島原城主の松倉氏や天草領主の寺沢氏の圧政が原因となって起こったが、司馬遼太郎の『街道をゆく』(第17巻)の「島原半島・天草の諸道」で詳しく書かれている。この巻の冒頭で司馬さんは、
「日本史のなかで、松倉重政という人物ほど忌むべき存在はすくない」
 と、島原城主の松倉重政のことを痛烈な表現で書いている。それほどの悪政だった。
 天草四郎を総大将とする反乱軍は寛永14年から翌15年にかけて幕府軍と戦い、最後は武器や食料が尽きて敗北した。前日に立ち寄った島原半島の原城は、そんな「島原の乱」で天草四郎がたてこもった城だ。
 国道266号を南へ。大矢野島から天草上島まではわずか2キロほどでしかないが、その間では2号橋(大矢野橋)、3号橋(中の橋)、4号橋(前島橋)、5号橋(松島橋)と次々に天草五橋を渡っていく。橋を渡りながら天草随一といっていい風光明媚な天草松島の島々を見る。観光船がそんな島々の間を縫っていく。
 天草五橋を渡りきり、天草・上島に入っていく。
 千厳山(166m)山頂の展望台に登り、今、通ってきた天草五橋や大矢野島、天草松島の島々を見下ろした。さらには宇土半島や九州本土の山並みをも一望できた。千厳山は手杓子山とも呼ばれているが、天草四郎出陣のとき、この地で手杓子で祝酒を酌み交わしたのが山名の由来になっているという。
 千厳山を下ると松島温泉「ホテル天松」(入浴料300円)の湯に入り、「海鮮家・福伸」で昼食にする。「カキフライ定食」(900円)を食べた。揚げたての地元産カキはクリーミー。熱々のカキのフライをフーフーいいながら食べた。いやー、おいしかった。

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早朝の熊本駅前
「東横イン」の朝食


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「東横イン」を出発
有明海の遠浅の海


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国道57号から見る天門橋
JR三角駅前に到着


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天門橋を渡る
天門橋からの眺め


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天草・上島の「海鮮家・福伸」
「カキフライ定食」を食べる


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