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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[106]

投稿日:2013年3月16日

徳之島到着

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 奄美大島が遠ざかると、前方には徳之島が大きく見えてくる。9時10分、徳之島の亀徳港に入港。ここには30分間、停泊し、9時40分に出港した。
 2002年の「島めぐり日本一周」では、徳之島を一周した。そのときも奄美大島の名瀬港からで、名瀬港発5時50分のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル」に乗り、徳之島の亀徳港到着は9時40分。今回とまったく同じだった。
 その時の「徳之島一周」を紹介しよう。

 亀徳港に上陸すると「徳之島一周」を開始。反時計回りでまわる。まずは太平洋側を北上していく。
 亀徳港近くの岬には「富山丸」の慰霊塔が建っている。太平洋戦争中、米軍の魚雷攻撃で沈没し、3704人が亡くなった。1隻の船で3704人もの死者というのは「タイタニック号」や「戦艦大和」の沈没などの死者数をはるかに上回っている。
 徳之島には一面のサトウキビ畑が広がる。製糖工場もある。島の最高峰、井之川岳(644m)を左手に見ながら、スズキの50ccバイク、SMX50を走らせる。
 右手の太平洋上には加計呂麻島と奄美大島が霞んで見える。そして徳之島最北端の金見崎に立った。岬の突端には白い四角い灯台。岬の周辺はソテツの群生地でソテツのトンネルもある。
 豪快な海岸美のムロ瀬を見て西海岸へ。
 今度は東シナ海沿いに南下していく。奄美のコンビニ「アイSHOP」で昼食。幕の内弁当(490円)を食べ、旧日本軍の浅間飛行場に行く。今は滑走路跡が直線道路になっている。中央分離帯にはソテツが植えられている。この滑走路を神風特攻隊の若者たちが南の沖縄の空へと飛んでいった。
 滑走路跡の直線道路の行き止まり地点には神風特攻隊の碑が建っている。
 奄美海運のフェリーが寄港する平土野港に立ち寄り、さらに南へ。
 徳之島最西端の犬田布岬に立った。岬からは平べったい沖永良部島が見える。ここには太平洋戦争末期に犬田布岬沖で撃沈された旗艦の「戦艦大和」をはじめ、巡洋艦、駆逐艦など10隻の慰霊塔が建っている。あまりにも無用の長物だった戦艦大和。その最期の地は徳之島の沖合だ。
 徳之島最南の町、伊仙に到着すると、最南端の岬、伊仙崎まで行った。サンゴ礁のゴツゴツした海岸。岬周辺は赤土のジャガイモ畑になっている。
 伊仙の町に戻ると、遠浅の海岸を見ながら太平洋岸を北上していく。
 徳之島最大の町、亀津を通り、亀徳港に戻ってきた。「徳之島一周」は105キロになった。島一周の距離が100キロを超えるのは、徳之島が大きな島の証明だ。
 亀徳港からもう一度、最北端の金見崎まで行き、民宿「金見荘」に泊まった。
 夕食は豪華版。イセエビ、アカハタ、イシガキダイの「海鮮鍋」。宿ではこれを「長寿鍋」といっている。島特産の黒糖焼酎をびんごと1本、ボンと出してくれた。

小学館文庫『島の温泉日本一周』より
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徳之島が見えてくる
徳之島の亀徳港に入港


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