カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[133]

投稿日:2013年4月13日

地平線会議

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 伊計島北端の「ホテル伊計」で折り返し、宮城島、平安座島と走り、浜比嘉島に戻ってきた。
 浜比嘉島には浜と比嘉の2つの集落があるが、そのうちの比嘉にある公民館へ。ここが「地平線会議イン浜比嘉島」の会場。3日間に渡るこのイベントに参加するために浜比嘉島にやってきた。
「地平線会議」は1979年につくられた「日本冒険探検会議」といったものだ。
 まずは公民館でボリューム満点の弁当(400円)を食べる。
 13時30分、「ちへいせん・あしびなー」の開始。「あしびなー」は「遊び場」といった意味。地平線会議代表の江本嘉伸さんの司会で、「地平線モノ語り」が始まった。
 ウルトラマラソンの原健次さん、世界一周ライダーの坪井伸吾さん、南極越冬隊の長島祥子さん、「自然学校」の広瀬敏通さん、日本最後の鷹匠の松原英俊さん、世界中のカーニバルを見てまわっている白根全さん、インドネシアのマッコウクジラ漁を研究している江上幹幸さんと小島廣太郎さんの話を聞いた。
 つづいては三輪主彦さんの司会で日本を代表する民俗学者、宮本常一先生をテーマにして、上江洲均さん、向後元彦さん、金井重さん、それとカソリのトークショー。ここまでが第1部といったところだ。
 浜比嘉島で沖縄の民俗学の第一人者、上江洲均さんに再会できたのは、何ともうれしいことだった。上江洲さんは「我が忘れられない人」なのだ。
 ぼくは宮本常一先生のつくられた「日本観光文化研究所」(1989年に閉鎖)の所員だったが、沖縄の民具調査の時に、沖縄の県立博物館で初めて上江洲さんにお会いした。上江洲さんは宮本先生の著作はほとんど読まれていて、宮本先生への思いの強さには驚かされた。そんな上江洲さんを通して沖縄を知り、沖縄を教えられ、沖縄人を知ったといってもいい。
 沖縄本島の後、上江洲さんの故郷の久米島に渡り、フクギの木に覆われた久米島の昔ながらの集落を歩いた。そこでは伝統的な「久米島紬」の工房を見せてもらった。
 奄美諸島の調査でも沖永良部島に上江洲さんは来てくれた。
 地元のみなさんとトコトン付き合う上江洲さんの民俗調査、民具調査の態度には心を打たれた。地元のみなさんの宴会の席に呼ばれたときは、大きな盃になみなみとつがれた奄美の焼酎を一気に飲み干した。
 上江洲さんも同行してくれた10日間あまりの台湾での調査のときも、一緒に飲んだ思い出が強烈に残っている。山地民の村々を歩いたときは、夜通しおこなわれた結婚式の宴会に呼ばれた。村人たちにつがれるままに、次々に地酒を飲み干した。その翌日、カソリは足腰も立たずフラフラ状態だった。ところが上江洲さんはサングラスをして赤くなった目を隠し、炎天下の村内を歩き、村人たちの生活誌を聞いてまわった。
 それは地平線会議の誕生する3年前、1976年の夏のことだった。

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浜比嘉大橋を渡って浜比嘉島へ
浜比嘉島の比嘉漁港


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比嘉の公民館で食べた弁当
「ちへいせん・あしびなー」が始まった!


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