カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[167]

投稿日:2013年5月21日

江戸期そのままの天守閣

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 島根半島山中の一畑薬師を出発。国道431号に戻ると、宍道湖を右手に見ながら松江の町に入っていく。そしてJRの松江駅前でアドレスを止めた。
 さー、「松江探訪」の開始だ。
 目抜き通りの天神商店街を走り抜け、宍道湖から中海へと流れていく大橋川にかかる松江大橋を渡る。松江大橋は風情のある橋で、欄干には擬宝珠がつけられ、橋の途中の展望台には灯籠がある。
 橋の左手を見れば、もう一本下流の橋、宍道湖大橋越しに、今見てきた宍道湖の湖面が広がっている。この松江大橋周辺の大橋川では、何隻もの小舟が出て、ヤマトシジミの漁をしている。まさに松江の風物詩といったところだ。
 大橋川の対岸に渡り、松江市役所の前を通り、一畑電鉄のターミナル駅、松江温泉駅に行く。一畑電鉄は松江温泉駅から出雲大社駅と出雲市駅まで通じている。一畑薬師に近い駅は一畑口駅だ。
 松江温泉駅でもアドレスを止め、待合室でカンコーヒーを飲みながら、しばしボーッとした時間を過ごす。ぼくは駅の待合室が大好きで、地元の人たちの何気ない会話を聞いているのも大好きなのだ。
 松江温泉駅の先、宍道湖畔には、松江温泉の温泉街がつづいている。高層の温泉旅館・ホテルが建ち並んでいる。昭和46年のボーリングが成功し、源泉を掘り当てた、比較的新しい温泉だ。温泉街の一番奥には「お湯かけ地蔵」がまつられ、熱い湯が湧きだしている。
 松江温泉ではひと風呂浴びていこうと、立ち寄り湯には絶好の「しまね社会保険センター」(入浴料400円)に行く。ここの展望大浴場はじつに気分よく入れる湯で、湯につかりながら、眼下の宍道湖を見下ろした。宍道湖にも何隻もの小舟が浮かび、ヤマトシジミの漁をしている。
 松江温泉から松江城へ。島根県庁の隣りが松江城。城は堀に囲まれている。別名千鳥城ともいわれる松江城には、江戸期そのままの天守閣が残されている。全国に現存する「十二天守」のひとつで、山陰では唯一のものとなっている。
 城下町の松江だが、松江藩は慶長5年(1600年)、遠江・浜松12万石の城主堀尾吉晴が、毛利氏の減封により、出雲、隠岐の2ヵ国24万石に封ぜられて誕生した。
 松江城は慶長16年(1611年)、堀尾吉晴が5年の歳月を費やして完成させたもの。堀尾氏3代、京極氏1代のあと、徳川家康の孫にあたる松平直政が城主となり、明治維新までの234年間、松平氏10代の治世がつづいた。
 そのうちの第7代城主が名君の誉れ高い松平治郷で、号は不昧。治郷というよりも「不昧公」でよく知られている。
 さっそく、松江城の五層六階の天守閣(入場料550円)に登った。太い柱をふんだんに用いた建物。各階には松江藩の歴史にかかわるさまざまなものが展示されている。
 天守閣の望楼「天狗の間」に立つと、松江をとりまく360度の展望が楽しめる。松江の市街地を一望し、宍道湖を眺め、反対側にまわると、島根半島のなだらかな山並みを眺む。松江城の天守閣は、松江第一の展望台といっていい。
 松江城の見学を終えたところで、城内の茶店に入り、出雲名物の割子そば(600円)を食べた。出雲は、西日本では数少ないそばの名産地。三瓶山(1126m)周辺でとれるそばの味には定評がある。出雲そばの特徴は、甘皮も一緒に挽くので、色が黒っぽいことだ。そんな出雲そばの食べ方の代表格が、割子そばである。
 割子というのは、朱塗りの丸い器のことで、それにそばを盛る。3枚、もしくは5枚を一人前にし、客の求めに応じて追加していく。割子に入れたそばのことを松江では「洗い」といっている。ゆであがったそばを冷水に落とし、よく洗ってから割子に盛るのでその名があるという。
 松江城のすぐ北側には「塩見縄手」と呼ばれている通りがあるが、その一帯には城下町の面影が濃く残り、武家屋敷などもある。
 小泉八雲の記念館もここにある。小泉八雲はギリシャ生まれのイギリス人。本名はラフカディオ・ハーン。明治23年に来日し、松江の人、小泉節子と結婚し、松江をこよなく愛した。
 松江は旅心を誘われる町だ。

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島根半島の紅葉
青空を背にした紅葉は色鮮やか!


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宍道湖畔を行く
松江城に到着


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松江城の天守閣を見上げる
堀川めぐりの舟


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松江城の堀


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