カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[181]

投稿日:2013年6月8日

「おくの細道素龍清書本」現存の地

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 11月7日。「ニューサンピア敦賀」の朝湯に入り、朝食を食べ、7時30分に出発。敦賀からは国道8号を行く。スズキの125ccスクーター、アドレスV125Gを走らせ、福井・滋賀県境の峠に向かった。
 峠上には「とろろそば」を名物にしている茶店の「孫兵衛」。残念ながらまだ店は開いていなかったが、ここは「芭蕉命!」のカソリにとっては極めて重要なポイントで、福井県側の集落、新道の西村家がやっている店だ。
 西村家というのは、国の重要文化財にもなっている「おくの細道素龍清書本」を所蔵している旧家。芭蕉は「奥の細道」の旅を終えると、5年もの歳月をかけて『おくのほそ道』を書き上げた。それは推敲に推敲を重ねたもので、芭蕉の晩年のすべてをかけた本といっていい。それを能書家の素龍に清書させたものが「素龍清書本」。芭蕉はその清書本を頭陀袋に入れ、伊賀上野にいる兄に贈った。
 間近に迫った死を予感し、最も世話になった兄に形見として贈ったものだが、それは元禄7年(1694年)の春のことだといわれている。その年の10月12日(陽暦の11月28日)、芭蕉は、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の辞世の句を残し、大坂(大阪)で死んだ。51歳だった。
『おくのほそ道』が京都の井筒屋庄兵衛によって出版されたのは、その8年後の元禄15年(1702年)のことになる。
「おくの細道素龍清書本」は数奇な運命をたどり、次々と所有者が変わった。そして最後に敦賀・新道の西村家の所蔵となった。文化元年(1804年)の頃だといわれている。「素龍清書本」が「西村本」といわれるのはそのためだ。
 西村家には大変失礼なことだが、
「何で、よりによって…、ここなの?」
 といいたくなるような所に残されている。
 峠茶屋「孫兵衛」の店の奥には「素龍清書本」がガラスケースの中に入れられ、展示されている。
 それを目にしたときは、
「すごいものを見た!」
 という感動で、体が震えるような思いがした。しかしそれは複製本で、原本は西村家の土蔵に大切に保管されている。
 芭蕉への想いを新たにして国道8号の新道の峠を越え、滋賀県に入っていく。奈良県につづいての2番目の内陸県。峠を下り、琵琶湖が見えてきたところでアドレスを止めた。これから琵琶湖を一周するのだ。

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敦賀の夜明け
「ニューサンピア敦賀」の朝食


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「ニューサンピア敦賀」を出発
国道8号を行く


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峠の茶屋の「孫兵衛」
ここが琵琶湖の最北端


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