アドレス日本一周 east[8]
投稿日:2013年7月25日
海で繋がる
鵜原をあとにし勝浦へ。
勝浦の地名も四国と南紀にあるが、ここの漁民の先祖は四国から渡ってきたといい伝えられている。勝浦も「黒潮文化圏」の地だ。漁港としての歴史は古く、外房でも屈指の水揚高を誇っている。勝浦といえば朝市で有名。400年以上の歴史を持つ勝浦の朝市は「日本三大朝市」のひとつに数えられている。
勝浦湾の東側に突き出た岬の八幡岬へ。この岬のおかげで勝浦魚港は天然の良港になっている。
岬の展望台には徳川家康の側室「お万の方」の銅像が建っている。要害の地の八幡岬は勝浦城跡だ。お万の方はこの城の姫だった。落城の際、お万は断崖に布をたらし、海上に逃れたといわれているので、八幡神社下の断崖は今でも「お万布さらし」といわれている。
お万の方といえば、徳川御三家のうち、紀州家の藩祖(頼宣)と水戸家の藩祖(頼房)を生んだ女性。「お万の方」を通して外房の勝浦と和歌山、水戸がつながっているのが歴史の綾というかおもしろいところだ。もし、お万の方が落城とともに命を落としていたら、今の和歌山や水戸はまったく違う町になっていた。いまもって名も知れぬ寒村のままだったかもしれない。
八幡岬からJR外房線の勝浦駅前に行くと、食事処「海鮮本陣 魚祭」で夕食。外房の郷土料理「なめろう丼」(1180円)を食べた。アジのなめろうが丼飯の上にのっている。
「なめろう」というのは、外房の安房小湊が発祥の地らしい。もともとは漁師料理で、漁師が船上で調理した。とれたばかりの魚を包丁でトントンとたたいて生のままで食べた。そのなめらかな舌ざわりから「なめろう」といわれるようになったという。