カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[10]

投稿日:2013年7月27日

賀曽利一族の出身地

千葉←東京←神奈川←静岡←神奈川←東京
2008年11月23日

 11月23日6時、勝浦温泉の一軒宿「つるんつるん温泉」の夜明け。お寺の鐘が聞こえてくる。朝湯に入る。黒湯のツルツル湯が気持ちいい。湯から上がると朝食。アジの干物と生卵、納豆でいつものように3杯飯を食べた。温泉宿に泊まり、朝湯に入ったあとの朝食というのは、よりおいしく食べられるものだ。
 8時、勝浦温泉を出発。スズキの125ccスクーター、アドレスV125Gリミテッドに、
「さー、行くぞ!」
 とひと声かけて走り出す。
 この朝の儀式が大事なのだ。
 勝浦の町に戻る前に、国道297号→国道465号で上総中野へ。上総中野駅は小湊鉄道といすみ鉄道の終着駅。そこから養老温泉を通り、小湊鉄道の養老渓谷駅前でアドレスを止めた。
 小湊鉄道の養老渓谷駅の周辺は朝生原(あそうばら)という。ここは我が賀曽利一族の出身地。駅の近くにある曹洞宗の宝林寺を参拝。宝林寺の墓地の奥まった一角に賀曽利家先祖代々の墓がある。江戸時代初期のものと思われる宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
 この一角には歴代住職の墓が並び、さらに安房国・里見家の種姫の墓もある。この種姫こそが『南総里見八犬伝』の主人公、伏姫のモデルといわれている。
 種姫は里見義実の娘。正木時重の嫡子大太郎に嫁いだが、永禄7年(1564年)1月の下総国、国府台(現市川市国府台)での第2次国府台合戦のときに夫を失った。種姫はその年の8月、上総国朝生原に富士山宝林寺を建立。亡夫の霊を弔った後、尼になり、安房国白浜に滝本山種林寺を建立。その縁で白浜には種姫の碑が建っている。
 なお白浜の杖珠院には里見家の始祖・里見義実と里見成実2代の墓がある。初代義実は嘉吉元年(1441年)、安房国に上陸後、わずか4年余りで安房国4郡を平定したと伝えられている。この墓と杖珠院に伝わる文書は里見氏の歴史を知る上で貴重な資料になっている。里見氏の墓は南房総市の史跡に指定されている。
 種姫は晩年、朝生原の宝林寺へ移り、ここで死んだ。宝林寺の裏山には種姫がこもって修行したといわれている洞窟もある。
『南総里見八犬伝』とは江戸時代後期、滝沢馬琴によって書かれた物語。文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結。全98巻106冊の大作だ。
 主人公の伏姫は安房国里見家の姫。物語発端の舞台は内房の富山登山口にある「伏姫籠穴」。飼い犬の八房に連れ出され、ここ富山の洞穴に籠もった。八房の気を受けて懐妊した伏姫は、それを恥じて自害しようとした。そのとき伏姫の体から空に飛んでいったのが「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の8つの水晶玉。この水晶玉を持つ八犬士たちが関東各地に誕生し、長い年月をかけて安房の里見義実の元に集まり、里見家を再興する。そんな物語の発端となる「伏姫籠穴」の前には、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」を現す8角形の舞台が造られている。
 まあ、それはおいて、カソリの春と秋の彼岸は大変だ。
 ぼくの曽祖父の代に朝生原から東京に出てきたので、曽祖父や祖父、父の墓は東京・目黒にある。彼岸というと東京の墓を参り、そのあと千葉の墓参りをする。
 朝生原の宝林寺の参拝を終えると、小湊鉄道の養老渓谷駅から終点の上総中野駅まで行く。関東の超ローカル線の小湊鉄道は、ほんとうはここから外房の安房小湊まで延びるはずだったが、力尽きて上総中野が終点になっている。
 上総中野駅前からは国道465号→国道297号を走り、勝浦の町に戻った。

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勝浦温泉「つるんつるん温泉」の朝食
勝浦温泉「つるんつるん温泉」を出発


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小湊鉄道の養老渓谷駅前に到着
朝生原の宝林寺


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宝林寺の我が一族の墓
宝林寺の種姫の墓


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小湊鉄道の終点、上総中野駅
勝浦の海岸地帯


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