カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[100]

投稿日:2013年11月8日

群を抜く規模の鰊番屋

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2008年12月9日

 12月9日。羽幌温泉「サンセットプラザはぼろ」での何とも辛い一夜がやっと明けた。猿払の道の駅「さるふつ公園」内のアイスバーンで転倒し、胸を打った痛みが激しくブリ返し、何度も目がさめた。ズキンズキンズキンと痛み、息をするのも苦しいほど。寝返りも打てなかった。温泉にたっぷりつかり、血のめぐりがよくなったのが原因か。それにもかかわらず、起きるとすぐに朝湯に入った。入浴客はぼく一人で、大浴場を独占して湯につかった。
 バイキングの朝食を食べると、部屋に戻り、30分ほど眠る。最高に気持ちのいい朝寝。この眠りのおかげで、夜の辛さはいっぺんにふっ飛んだ。
 爽快な気分で羽幌温泉「サンセットプラザはぼろ」を出発。羽幌を過ぎると、もう全く雪は見られない。恐怖の雪道から解放された。
 国道232号を南下。留萌に向かっていく。
 苫前を過ぎ、小平へ。
 小平では鰊御殿の「旧花田家番屋」を見学。とてつもない大きさで、ここは現存する鰊番屋としては道内でも最大の規模。花田家は北海道でも屈指の鰊漁家で、最盛期には18ヵ統のニシンの定置網を持っていた。この鰊番屋では5ヵ統の定置網の漁夫のほかに、船大工とか鍛冶職人、屋根職人など200人もの人たちが生活していたという。
 明治中期に建てられた「花田家鰊番屋」は現在、資料館になっている。
「木割りは大きく豪壮であり、空間は雄大。玄関から奥に土間を通し、その北側に親方の住居部分を、南側には漁夫の生活部分をもうけ、漁夫の寝台を中二階に備えて三段とし、その機能と合理性を求め、俗に番屋と呼ぶ鰊漁家特有の平面構成である」
 と、説明書にはある。面積は1階部分が906平方メートル、2階部分が105平方メートルで、合計すると1011平方メートルもの豪壮な建物だ。この小平の「旧花田家鰊番屋」につづく現存する鰊番屋というと、寿都の佐藤家番屋が741平方メートル、小樽の鰊御殿が638平方メートル。小平の鰊番屋が群を抜いて大きいのがよくわかる。
 展示されている明治から大正にかけての、ニシン漁最盛期の古ぼけた写真がすごい迫力だ。春先のニシン漁の季節になると、小平の海は群れるニシンで盛上がり、海の色は乳色に変ったほどだという。それらの写真は「千石場所」といわれた小平の浜の、はるか遠くに過ぎ去ったにぎわいを今の時代によみがえらせてくれている。当時は漁獲されたニシンの大半は、肥料用として魚粕にされた。写真を見ると、番屋の前は広々とした干し場になっている。
 この地における年代別のニシンの漁獲量を見ると、明治中期から減りはじめ、獲れる年と獲れない年の差が大きくなり、昭和10年代になると激減する。一時、昭和19年前後に盛り返すが、昭和29年を最後にほとんど獲れなくなり、ニシンは幻の魚になってしまった。
 見学を終えると隣接するレストランで昼食。「焼ニシン定食」を食べた。焼ニシンにはたっぷりと脂がのっていた。定食には「三平汁」がついたが、これにもニシンが入っている。三平汁というとサケが一般的だが、ニシンを入れた三平汁は焼ニシンとはまた違った味わいで美味だった。

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羽幌温泉「サンセットプラザはぼろ」の朝湯に入る
「サンセットプラザはぼろ」の朝食


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小平の「旧花田家番屋」
「旧花田家番屋」の内部


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「焼きニシン定食」
たっぷりと脂ののった焼きニシン


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ニシンの三平汁


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