アドレス日本一周 east[108]
投稿日:2013年11月16日
ニシンの千石場所
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積丹半島北西端の神威岬からは国道229号を南下。積丹半島西岸の日本海を見ながらアドレスを走らせる。東海岸と比べると交通量ははるかに少なく、「我が道を行く!」といった気分がたまらない。
神恵内村から泊村に入ると、「300日3000湯」のなつかしの温泉、盃温泉の国民宿舎「もいわ荘」(入浴料500円)の湯に入った。
盃温泉の湯から上がると盃漁港、泊漁港と泊村の漁港を見ていく。
泊村では今から300年ほど前からニシン漁が始まり、明治中期より大正末期まではニシンの千石場所としておおいに栄えた。最盛期には50を越える漁場があり、ニシンの建網が92ヶ統、網元が個人で造ったミニ漁港も40ヶ所あったという。1ヶ統に要する人数が40人程度ということから、東北の各地から働き手である「ヤン衆」が相当数やって来て、泊の浜は大変な賑わいだったようだ。春になると海を埋め尽くすほどの大量のニシンが岸近くまで押し寄せ、産卵のために海の色が一面乳白色に変わったという。
泊漁港の「鰊御殿」(300円)を見学。ここには旧川村家番屋と旧武井邸客殿がある。旧川村家番屋は明治27年(1894年)に建てられた。鰊番屋は漁場を経営する親方とヤン衆たちとの共同生活をする場で、豪壮な造りには目を見張らされる。
旧武井邸客殿は大正5年(1916年)頃に建てられた。ニシン漁で莫大な富を得た親方が贅を尽くした造りの客殿。それに付随する石蔵では、ニシン漁の漁具などが展示されている。
ここで目を引くのはニシン漁の魚場の模型。浜には番屋、母屋、客殿、石蔵と並び、そのほか米倉や網倉などがある。釜場や干場もある。漁獲されたニシンの大半は釜場で煮沸され搾られたあと、干場で干され、ニシン粕として出荷された。このニシン粕が日本の農業を支えたといってもいいほどで、ニシンの魚肥は高値で売買されたのだ。