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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[135]

投稿日:2013年12月23日

象潟は憾(うらむ)がごとし

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2008年12月15日

「にしめ湯っ娘ランド」を出発し、白砂青松の西目海岸へ。砂浜に立つと、北には男鹿半島が大島のように見え、南には飛島が波間に隠れるようにして見えている。
 国道7号を南下。仁賀保では町中に入り、JR羽越本線の仁賀保駅前から平沢漁港へ。次に漁港の近くにある「TDK歴史館」(無料)を見学。仁賀保は世界企業「TDK」の生まれ故郷だ。
 仁賀保から象潟へ。ここは芭蕉の「奥の細道」最北の地。
 象潟に到着すると、国道7号を左折し、JR羽越本線の踏切を渡ったところにある蚶満寺(拝観料300円)に行く。この寺が芭蕉時代の干満珠寺になる。境内には芭蕉像と新しく出来た絶世の美女、西施像が建っている。しかし今では、『おくのほそ道』にあるような風景は見られない。象潟が潟でなくなってしまったからだ。
 なんとも残念なことだが、文化元年(1804年)の象潟地震でこの一帯は隆起し、「江の縦横一里ばかり」とある潟が陸地になってしまった。
 蚶満寺の境内には舟つなぎ石が残されているが、それが当時は潟の岸辺にある寺だったことを証明している。またここからはポコッ、ポコッと盛り上がった小丘をいくつも見るが、それが当時の九十九島。今では稲田の中に浮かんでいる。
「象潟郷土資料館」(入館料150円)に行くと、大地震以前の復元された象潟の825分の1の模型が展示されている。それを見ていると、あらためて、
「残念…」
 という気持ちがわき上がってくる。
 芭蕉は「松島は笑うがごとく、象潟は憾がごとし」
 といっているが、まさにそのとおりなのだ。
 松島は押すな押すなの大盛況。瑞巌寺や五大堂などは、人をかきわけて歩くようだった。それにひきかえ、潟でなくなってしまった象潟はまるで忘れ去られたかのような存在で、訪れる人も少ない。松島と象潟は何とも対照的な「奥の細道」のハイライトの2地点なのである。

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仁賀保の平沢漁港
仁賀保の「TDK歴史館」


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「TDK歴史館」の内部
「TDK歴史館」の展示


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蚶満寺の芭蕉像
蚶満寺の山門


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