アドレス日本一周 east[161]
投稿日:2014年1月22日
75万石の大城だ
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出雲崎を出発。ここから海沿いの道は国道352号になる。正確にいうと柏崎までは国道352号と国道402号の重複区間だ。
日本海を渡る冷たい季節風に吹かれながらアドレスを走らせる。
だが…、東電の柏崎刈羽原発の手前で国道は通行止め。中越沖地震の復旧工事がいまだに行なわれているのだ。このあたりは中越沖地震の一番の激震地。その真上に原発がのっている。
迂回路を通って柏崎まで行った。
柏崎に着くと漁港でアドレスを止め、海岸をプラプラ歩いてみた。
柏崎からは国道8号で直江津へ。
その途中では、国道8号から4キロほど山中に入ったところにある一軒宿の栃窪温泉(入浴料500円)に行った。小さな湯船の内風呂のみ。ふたをとって湯に入る。にごり湯だ。蛇口をひねると源泉の鉱泉水が出てくる。栃窪温泉は超ディープな温泉。
直江津に着くと、直江津港の岸壁でアドレスを止めた。ここから佐渡の小木港にフェリーが出ている。直江津は昔からの港で、かつては「今町湊」と呼ばれた。上杉謙信の時代は春日山城の城下町、近世になると高田城の城下町の外港として栄えた。
直江津から高田へ。直江津と高田が上越市の2つの核になっている。
高田では上杉謙信の春日山城跡に行く。赤松の坂道を登りつめると、謙信をまつった春日山神社に着く。そこには謙信の銅像が建っている。毘沙門天への信仰の厚い謙信だったが、毘沙門天の「毘」の字を染め抜いた上杉の軍旗が風にはためいていた。
春日山神社から山城の春日山城の本丸跡まで登ってみる。大汗をかいて登りついた本丸跡からは大展望が眺められた。左手には直江津の市街地を見下ろし、その向こうには日本海が茫洋と広がっている。高田平野を関川が流れ、米山が遠くに見えている。目を反対側に向けると、幾重にもなって重なり合った山々が妙高山へとつづいている。
春日山城跡を後にすると、高田の古い町並みに入っていく。ここでは高田城跡を歩いた。一面に蓮で覆われた城跡の外堀を一目見ただけで、城の規模の大きさを容易に想像できた。それもそのはずで、高田城は徳川家康の子、忠輝の城。家康が諸国の大名たちに号令をかけ、北陸、奥羽への押さえとして造らせた75万石の大城だ。
忠輝は家康の子供たちの中では一番才気にあふれていた。だが家康は忠輝の才能、能力を恐れた。戦国の世が終ると、死期の迫った家康は徳川家を乱す元になるとして、忠輝を伊勢に流してしまう。
もし、忠輝が家康の怒りにふれることなく、おとなしくしていたら…。もし家康がもう2、3年、早く死んでいたら…。越後の雪深い高田の町は、徳川御三家の水戸、名古屋、和歌山を上回る城下町になっていたことは間違いない。