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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[168]

投稿日:2014年2月6日

真田信幸の居城、沼田に到着

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2008年12月23日

 12月23日7時30分、「東横イン」のおにぎり&味噌汁の朝食を食べ、前橋駅前を出発。国道18号を北上。スズキの125?スクーター、アドレスV125Gリミテッドを走らせ沼田へ。
 9時、沼田に到着。沼田盆地の中心地、沼田は底冷えがする。気温は0度。前橋よりもはるかに寒い。
 JR沼田駅から沼田の町をひとまわりし、沼田公園を歩いた。ここは沼田城の跡。本丸跡や復元された鐘楼を見てまわる。
 沼田城というと「六文銭」の信州・真田氏の城として知られているが、天文元年(1532年)に沼田氏12代目の鬼斎顕泰によって築かれ、上杉謙信の死後、小田原の北条氏の支配下に入った。
 天正18年(1590年)の秀吉の小田原攻めで北条氏が滅びると、沼田城は真田昌幸の長男の信幸に与えらえ、それ以降、真田信吉、真田熊之介、真田信政、真田信澄と真田氏の時代がつづく。ところが天和元年(1681年)、真田信澄は幕府より失政を咎められ、沼田城は取り壊され、堀も埋められた。
 沼田城が再興されたのは元禄16年(1703年)、本多正永がこの地に移封されてからのことになる。それ以降、本多氏、黒田氏の時代を経て、土岐氏で明治維新を迎えた。
 沼田からは「六文銭」を追って群馬・長野県境の鳥居峠を越え、上田城のある上田まで行くことにした。

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「東横イン」の朝食
JR沼田駅前


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真田氏の時代の沼田城
沼田城の本丸跡


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沼田城の鐘楼


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