アドレス日本一周 east[175]
投稿日:2014年2月15日
松平定信の白河を探訪
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国道289号の甲子峠の「峠返し」で白河に戻ってくると、JR白河駅前を出発点にして白河の町をめぐる。
白河は城下町であり、奥州街道の宿場町でもある。白河駅の南側を通る国道294号が旧奥州街道。本陣跡が残り、城下町特有の鉤型道が残っている。
奥州街道は日本橋から関東、東北を縦断し、青森から三厩、さらには津軽海峡を渡って蝦夷の松前まで通じていた。そのうちの「日本橋→白河」間が「江戸五街道」の奥州街道になる。
東北第2の大河、阿武隈川を渡ったところでアドレスを止めた。ここは「奥の細道」の重要な舞台だ。
芭蕉は『おくのほそ道』で次のように書いている。
「とかくして越え行くままに、阿武隈川を渡る。左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山連なる」
このように芭蕉は阿武隈川には特別の想いを寄せていた。阿武隈川は「みちのく」の歌枕で知らていたからだ。会津根というのは磐梯山のことだが、白河から見えるのかどうか…。奥羽山脈の山並みに隠れてしまうように思うのだが。会津根も歌枕なので、どうしても「白河」で「会津根高く」を入れたかったのだろう。
白河宿内の奥州街道を走り終えるとJR白河駅に戻り、今度は駅の反対側にある小峰城跡に行く。阿武隈川と谷津田川の間の小峰ヶ岡にあるので小峰城といわれるが、白河城といえばここのこと。鶴ヶ城(若松城)、盛岡城とともに「東北三名城」のひとつに数えられている。
再度、JR白河駅に戻ると、国道289号で南湖公園に行く。ここは日本最古の公園。享和元年(1801年)、白河藩主の松平定信によってつくられた。湖畔の「荻原屋」で名物の「南湖だんご」(400円)を食べる。あん、みたらし、ごまの「三色だんご」。そのあと湖畔を散策した。
日本庭園「翠楽園」の入口には松平定信像が建っている。南湖神社の鳥居前には大きな「楽翁公」像が立っている。この「楽翁公」も松平定信のこと。白河の人たちの心の中に松平定信(1758年ー1829年)はいまでも生きつづけている。
江戸幕府の老中として「寛政の改革」を成しとげた功績はよく知られているが、それだけではなく白河藩の藩政の改革を進め、天明の大飢饉のときは飢えに苦しむ領民の多くを救った。その声望がいまだにこの地では語り継がれている。
南湖公園を最後に「白河探訪」を終えた。