アドレス日本一周 east[176]
投稿日:2014年2月17日
東北を結ぶ最古のルート
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白河の南湖からは旧奥州街道の国道294号を南下。アドレスを走らせ、福島・栃木の県境に向かっていく。国道289号との交差点から5キロほど行くと白坂に着く。ここは奥州街道の奥州側最初の宿場、白坂宿だ。
白坂から1キロほど行くと福島・栃木県境の明神峠に到着。ここには境の明神がまつられている。奥州側は住吉神社、関東(下野)側は玉津島神社。両社が国境を境に隣りあっている。またここには「二所ヶ関址」碑もある。
明神峠を栃木県側に下ると、奥州街道の関東側最後の宿場になる寄居の集落。さらに国道294号を下っていくと芦野の町並みに入っていく。ここも奥州街道の宿場町だ。
芦野には「遊行柳」が残されている。西行ゆかりの「遊行柳」。西行を熱烈に慕っていた芭蕉は「奥の細道」では、当然のこととして立ち寄っていく。「遊行柳」の奥には小さな祠の湯泉神社があるが、その祠前には大イチョウ。地元では「上の宮のイチョウ」といっている。樹齢400年、根回り6メートル、樹高は35メートルというとてつもない巨木だ。
国道294号の道の駅「東山道 伊王野」でアドレスを止め、小休止。伊王野からは古代日本の官道、東山道で再度、福島県境に向かっていく。戸中峠を越えて棚倉に通じる県道60号と分岐し、県道76号を行く。この県道60号→76号が東山道に相当する。
東山道の県道60号→76号、旧奥州街道の国道294号、奥州街道の国道4号と、関東から奥州に通じる街道は西へ、西へと移動していることがわかる。
伊王野から10キロほどで栃木・福島県境の明神峠に到着。ここが関東と東北を結ぶ最古の峠。峠上には追分の明神がまつられている。もともとはここも境の明神といわれていたようだ。国道294号の明神峠と同じように関東側には玉津島神社。かつては奥州側には住吉神社があったという。また峠には、「従是北白川領(これより北は白河領)」と彫り刻まれた石塔が立っている。
関東と東北を結ぶ最古のルートで福島県に入ると、県道76号を下っていく。
明神峠から3キロほどで「白河関跡」に到着。白河関は太平洋側の勿来関、日本海側の念珠関と並ぶ「奥州三関」のひとつ。勿来関、白河関は奥州、念珠関は羽州なので正確にいうと「奥羽三関」になるのだが、昔から「奥州三関」といわれている。「奥州三関」は古代日本の北方警備の最前線だった。
白河関跡には白河神社がまつられている。白河藩主の松平定信の「古関蹟」もある。定信が「この場所こそ、白河の関があったところですよ」とお墨つきを与えた碑、それが「古関蹟」だ。
白河関は「奥の細道」でもきわめて重要なポイントになっている。
「心もとなき日数かさねたるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ」
と『おくのほそ道』でいっているように、芭蕉は白河の関を越えて、「さー、みちのくだ〜!」と、気持ちを新たにしている。
「白河関址」前の「やたべ」で昼食。「手打ち中華」(630円)を食べた。縮れ系の幅広麺にはしっかりとした腰がある。ちょっと不ぞろいなのが手打ち麺らしい。醤油味のさっぱり系スープ。2枚のチャーシューがなかなかの味わいだ。
「白河関址」を過ぎるとすぐに旗宿の集落。ここは東山道時代の宿駅になる。
旗宿からは県道280号を行ったが、県道沿いの郵便局は「古関郵便局」だし、「和泉式部庵跡」などもあって、「さすが古道!」と思わせるものがあった。
県道280号からわずかに入った谷中温泉「谷中の湯」(入浴料500円)に入っていく。超ディープ系の温泉。温泉宿の案内板、看板は一切ないのでみつけるのはちょっと難しいが、行く価値は十分にある。小さな湯船。若干のにごり湯。湯口は赤茶けてただれている。地元の人にいわせると、とってもよく効く湯だという。
「谷中の湯」から上がると、国道289号で棚倉に向かった。