カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[158]

投稿日:2014年10月15日

この旅最大のピンチ

四国八十八ヵ所めぐり 2009年5月8日
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二川宿の案内板

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白須賀宿の町並み

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新居宿の新居関所

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舞坂宿に入っていく

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舞坂宿の港

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舞坂宿の脇本陣内

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「つるや」の「うな丼」

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舞坂宿の松並木

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浜松宿に到着。ここは浜松駅前

 吉田宿(ふたがわしゅく)から旧東海道で二川宿へ。古い町並みが残り、「二川宿本陣資料館」がある。そんな二川宿を走り抜けようとしたときのことだ。
 今回の旅の最大のピンチに見舞われた。それはあまりにも突然のこと。ぼくはスズキ・アドレスV125Gを走らせ、信号のないT字の交差点を直進しようとした。そのとき左手に近づいてくる車を見て速度を落とした。その車も当然のことだが、速度を落とし、止まろうとした。そのあとに信じられないことが起きたのだ。
 停止する寸前だった車は突如、アクセル全開にしで飛び出し、右折しようとしたのだ。何が起きたのか、まったくわからなかったが、本能的に飛び込んできた車をからくもハンドリングでかわした。その差といったら、わずか数センチでしかない。暴走してきた車に吹っ飛ばされても、まったくおかしくない状況だった。というよりも、よくぞ車をかわせたものだと心底、胸をなでおろした。
 運転していたのは年寄りだ。おそらく停止線で止まろうとしたとき、あやまってアクセルペダルを踏み込んだのだろう。それも思いっきり。もしぶつかっていたら、あの勢いで飛び込んだ車にバーンと跳ね飛ばされ、それこそ命にかかわる事故になっていたことだけは間違いない。災いはとんでもないときにやってくる。これは旅の鉄則だ。
 愛知県から静岡県に入る。旧国でいうと三河から遠江に入ったことになる。
 旧東海道で白須賀宿(しらすかしゅく)の町並みを走り抜け、次の新居宿(あらいしゅく)では「東海道・往路編」のときと同じように新居の関所を見学。そして弁天島を通って舞坂宿(まいさかしゅく)に入っていった。ここでは脇本陣を見学。無料で見ることができる。東海道でこれだけしっかりとした脇本陣が残っているのはここだけ。脇本陣の見学を終えると昼食。「つるや」で「うな丼」を食べた。満ち足りた気分で舞坂宿の町並みを走り抜け、国道1号を渡り、松並木に入っていく。ここには全部で330本の松があるという。
 そのまま旧東海道を走り、途中、JR舞阪駅に立ち寄り、篠原で国道257号に合流。この国道257号は国道1号の旧道だが、浜松の中心街まではほぼ旧東海道に重なりあっている。浜松駅前に到着。浜松駅の周辺は浜松宿の中心でもあったが、東海道の宿場の面影は今はまったくといっていいくらいに残っていない。浜松駅からは往路編のときと同じように浜松城に行き、天守閣に登り、浜松の市街地を見下ろした。
 そのあと遠州灘の中田島砂丘を歩き、夕方、スズキの本社へ。スズキのみなさんには大歓迎された。今回、新車で出してもらったアドレスV125Gだが、東京・日本橋を出発してからここまで7765キロ、走っている。その間はノントラブル。完璧に走ってくれている。そんなアドレスの里帰りだ。
 スズキのみなさんと会議室でしばらく「アドレス」で語り合ったあと、夜はうなぎ店「かねりん」で「うな重」をご馳走になった。昼食にひきつづいての夕食のウナギに、「ウナギ大好き」のカソリ、もう大満足だ。

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浜松城 中田島砂丘を歩く 「かねりん」の「うな重」

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