カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

V-Strom1000で行く日本[49]

投稿日:2016年1月14日

三国三宿を越えて

2015年10月5日(東京〜青森)

 上越国境の三国峠を越えて新潟県に入り、「三国三宿」へ。三国三宿というのは浅貝宿、二居宿、三俣宿の3宿のこと。最初の浅貝宿は今では三国街道の宿場町というよりも苗場スキー場のスキーの町としてのイメージが強い。本陣跡は宿場の中央にある「ホテル本陣」。さすが本陣といったところで格式のあるホテルだ。ホテル内の「本陣歴史資料館」は自由に見学させてもらえる。

 次の二居宿は山中にひっそりとたたずむ宿場という風情。本陣跡は「富沢旅館」だが、今は旅館をやっていない。富沢家は慶長14年(1609年)に二居宿が誕生したとき、大沢(南魚沼市)から迎えられ、それ以来、庄屋・問屋・本陣役を勤めたという。

「三国街道を参勤交代する大名のうち、村松藩は帰国時によく二居宿を使った。中山宿、二居宿、六日町宿に泊り、魚野川を船で下った。二居宿では藩主は本陣に泊り、家臣たちは村中の家々に分宿した。この建物は慶応4年(1868年)の戦火で焼失したあと、明治2年(1869年)に元のままの形で再建された」

「富沢旅館」にはそんな説明の書かれた案内板が立っている。

 最後の三俣宿には脇本陣の「池田屋旅館」が残っている。三国三宿では唯一の江戸時代の遺構。天井の高い堅牢な造りの書院造りで、水墨画の襖絵や透彫の欄間などに脇本陣としての風格が漂っている。ここも今は旅館をやっていない。

 三国三宿ですごくいいのは、それぞれの宿場に日帰り湯があることだ。そのうち三俣宿の「街道の湯」(入浴料500円)に入った。

 芝原峠を越えて湯沢に下る。湯沢からは信濃川最大の支流、魚野川に沿って走る。

 国道17号の道の駅「南魚沼」で遅い昼食。「魚沼サーモンの味噌漬焼定食」(980円)を食べた。醤油味の汁は新潟の郷土料理の「のっぺい汁」。角切りのダイコンやニンジン、小粒のサトイモ、コンニャク、鮭の身が入っている。「魚沼サーモン」というのは日本海から信濃川→魚野川と上ってきた鮭のことで、脂分の抜けた淡泊な味。ご飯は本場、南魚沼産コシヒカリの新米だ。

 南魚沼から北魚沼に入ると、右手には八海山(1778m)、中ノ岳(2085m)、駒ヶ岳(2002m)の「越後三山」が見えてくる。真ん中の一番奥に見えるのが中ノ岳。越後三山を見ながらV−ストローム1000を走らせていると、思わず「おー、これぞ日本の絶景!」の声が出る。三国街道の堀之内宿の手前で魚野川越しに見た越後三山は最高の美しさ。堀之内宿の次の川口宿を過ぎたところで魚野川は信濃川に合流する。

 長岡からは日本海側の寺泊まで行き、日本海の海岸線を走って出雲崎へ。その途中では日本海に落ちる夕日を見た。夕暮れの出雲崎から長岡に戻ると、国道8号のナイトランで新潟へ。見附の国道8号沿いのラーメン店「長衛門」で「味噌ラーメン」(800円)を食べ、21時30分、新潟に到着。東京から461キロ。前回と同じ、「東横イン」(新潟古町)に泊まった。

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▲浅貝宿の「ホテル本陣」

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▲「ホテル本陣」の「本陣歴史資料館」

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▲二居宿の「富沢旅館」

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▲三俣宿の「街道の湯」

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▲「街道の湯」の露天風呂

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▲道の駅「南魚沼」の「魚沼サーモンの味噌漬焼定食」

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▲魚野川越しに見る越後三山

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▲信濃川(右)と魚野川の合流点

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▲長岡を通過

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▲北国街道の寺泊

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▲日本海に落ちる夕日

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▲夕暮れの出雲崎。佐渡が見えている

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▲見附のラーメン店「長衛門」

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▲「長衛門」の「味噌ラーメン」

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▲新潟古町の「東横イン」に泊まる

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