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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[343]

投稿日:2016年4月25日

東海道を鎌倉へ

坂東三十三ヵ所めぐり 2009年6月8日

早朝の日本橋を出発

早朝の日本橋を出発

品川宿

品川宿

品川宿の江戸六地蔵

品川宿の江戸六地蔵

六郷橋で多摩川を渡る

六郷橋で多摩川を渡る

川崎宿

川崎宿

神奈川宿

神奈川宿

 2009年6月8日4時15分、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。「日本百観音霊場」の第2弾目、「坂東33ヵ所めぐり」の開始だ。スズキの125ccスクーター、アドレスV−125Gに「頼むぞ!」とひと声かけて、国道246号を走り出す。相模川を渡り、多摩川を渡って東京都に入り、日本橋に到着したのは5時45分。この時間帯だと日本橋には通行する人の姿もなく、通る車もほとんどない。
「坂東33ヵ所」第1番札所の杉本寺(杉本観音)は鎌倉なので、東海道で藤沢宿まで行く。国道15号で早朝の銀座を走り抜け、品川宿を通り、六郷橋で多摩川を渡って神奈川県に入った。神奈川県内の最初の宿場は川崎宿だ。

 六郷橋のたもとには「六郷の渡し」の案内板が立っている。それには次のように書かれている。

関東でも屈指の大河である多摩川の下流域は六郷川ともよばれ、東海道の交通を遮る障害でもありました。そこで慶長5年(1600年)、徳川家康は六郷川に六郷大橋を架けました。それ以来、修復や架けなおしが行われましたが、元禄元年(1688年)7月の大洪水で流されたあとは、架橋をやめ、明治に入るまで船渡しとなりました。渡船は当初は江戸の町民らが請け負いましたが、宝永6年(1709年)3月以降は川崎宿が請け負うことになり、これによる渡船収入が川崎宿の財政を大きく支えました。

 国道15号から旧東海道に入り、川崎宿、神奈川宿を通って横浜へ。

 川崎宿の中心は京急川崎駅の周辺で、そこには田中本陣跡や佐藤本陣跡といった本陣跡がある。駅前の「いさご通り」は旧東海道を前面に出してアピールしている。川崎宿は相当にぎわったとのことだが、東海道を行き来する旅人のみならず、多摩川の河口近くにある厄除けの大師堂(川崎大師)へ参詣者も多かった。

 神奈川宿は京急の神奈川新町駅から神奈川駅の間の一帯で、オランダ領事館跡の公園やフランス領事館跡の慶運寺、アメリカ領事館跡の本覚寺などがあり、この地が横浜開港当時の中心地になっていたことがよくわかる。その先が横浜駅周辺の高層ビル街。江戸時代の横浜は名もなき寒村、というよりも海の中だった。

 横浜からは保土ヶ谷宿、戸塚宿を通って藤沢宿へ。保土ヶ谷宿と戸塚宿の間では権太坂を越えるが、この東海道最初の峠が武蔵と相模の国境になる。そこには境木地蔵がまつられている。戸塚宿の入口には見附(通行人の監視所)跡と一里塚跡、東海道線の戸塚駅近くには本陣跡がある。藤沢宿では時宗の本山の遊行寺を参拝した。

 藤沢宿で東海道と別れ、国道457号で江ノ島へ。江ノ島からは海沿いの国道134号で鎌倉に向かった。

保土ヶ谷宿の本陣跡武蔵・相模国境の権太坂JRの開かずの踏み切りは戸塚宿の難所

保土ヶ谷宿の本陣跡 武蔵・相模国境の権太坂 JRの開かずの踏み切りは戸塚宿の難所

遊行寺の本堂藤沢宿江ノ島が見えてくる

遊行寺の本堂 藤沢宿 江ノ島が見えてくる

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