奥の細道紀行[6]
投稿日:2016年7月25日
歌枕「室の八島」跡へ
芭蕉は小山から壬生、鹿沼経由で今市へ、そして日光に向かっている。この道は日光街道のショートカットの「日光壬生道」。今市で日光街道に合流する。街道を知りつくしている芭蕉らしいルートの選択といっていい。もうひとつの理由は、「日光壬生道」には「室の八島」があるからだ。下野の(というよりも東国の)代表的な歌枕、室の八島にはどうしても行きたかったようだ。
ということで、ひと晩泊まった小山駅前の「東横イン」を7時に出発すると、国道4号から日光壬生道の県道18号に入り、壬生に向かった。その途中で、室の八島跡だといわれている大神(おおみわ)神社に立ち寄った。
大神神社の境内には下野惣社(室の八島)の案内板があり、それには次のように書かれている。
大神神社を参拝すると、ぐるりと境内を歩いた。藤原定家や藤原実方の歌碑、そして芭蕉の句碑が建っている。そして湿地に浮かぶ八島には香取神宮、二荒神社、熊野神社、浅間神社、雷電神社、鹿島神社、天満宮、筑波神社の8社がまつられている。
芭蕉は室の八島から壬生に出た。
一、 | 壬生ヨリ楡木へ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。 |
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一、 | ニレ木ヨリ鹿沼へ一リ半。 |
一、 | 同晩、鹿沼ニ泊マル。 |
と、曽良の随行日記にあるように、壬生から日光壬生道と日光例幣使街道の追分の楡木を通り、鹿沼でひと晩、泊まっている。
「吉次」というのは源義経を鞍馬から連れ出し、平泉の藤原秀衡に引き合わせた伝説的人物。鹿沼では光太寺に泊まったといわれ、境内には芭蕉の編笠と草鞋を埋めたという笠塚がある。そして芭蕉は次の日、日光に向かった。
カソリはといえばスズキST250を走らせ、鹿沼から今市を通り、日光に向かった。