カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

奥の細道紀行[6]

投稿日:2016年7月25日

歌枕「室の八島」跡へ

栃木県栃木市/2009年

 芭蕉は小山から壬生、鹿沼経由で今市へ、そして日光に向かっている。この道は日光街道のショートカットの「日光壬生道」。今市で日光街道に合流する。街道を知りつくしている芭蕉らしいルートの選択といっていい。もうひとつの理由は、「日光壬生道」には「室の八島」があるからだ。下野の(というよりも東国の)代表的な歌枕、室の八島にはどうしても行きたかったようだ。

 ということで、ひと晩泊まった小山駅前の「東横イン」を7時に出発すると、国道4号から日光壬生道の県道18号に入り、壬生に向かった。その途中で、室の八島跡だといわれている大神(おおみわ)神社に立ち寄った。

 大神神社の境内には下野惣社(室の八島)の案内板があり、それには次のように書かれている。

大神神社は今から1800年前、大和の大三輪神社の分霊を奉祀し、創立したと伝えられ、祭神は大物主命です。惣社は平安時代、国府の長官が下野国中の神々にお参りするために大神神社の地に神々を勧請し祀ったものです。またこの地はけぶりたつ室の八島と呼ばれ、平安時代以来、東国の歌枕として都まで聞こえた名所として幾多の歌人によって多くの歌が残されています。

 大神神社を参拝すると、ぐるりと境内を歩いた。藤原定家や藤原実方の歌碑、そして芭蕉の句碑が建っている。そして湿地に浮かぶ八島には香取神宮、二荒神社、熊野神社、浅間神社、雷電神社、鹿島神社、天満宮、筑波神社の8社がまつられている。

室の八島に詣す。同行曽良いはく、『この神は木の花咲耶姫の神と申して、富士一体なり。無戸室に入りて焼きたまふ、誓いの御中に、火々出見の尊生まれたまひしより、室の八島と申す。また煙をよみならはしはべるも、このいはれなり』。はた、このしろという魚を禁ず。縁起の旨、世に伝ふこともはべりし。

『おくのほそ道』

 芭蕉は室の八島から壬生に出た。

一、 壬生ヨリ楡木へ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。
一、 ニレ木ヨリ鹿沼へ一リ半。
一、 同晩、鹿沼ニ泊マル。

 と、曽良の随行日記にあるように、壬生から日光壬生道と日光例幣使街道の追分の楡木を通り、鹿沼でひと晩、泊まっている。

「吉次」というのは源義経を鞍馬から連れ出し、平泉の藤原秀衡に引き合わせた伝説的人物。鹿沼では光太寺に泊まったといわれ、境内には芭蕉の編笠と草鞋を埋めたという笠塚がある。そして芭蕉は次の日、日光に向かった。

 カソリはといえばスズキST250を走らせ、鹿沼から今市を通り、日光に向かった。

大神神社の鳥居

▲大神神社の鳥居

大神神社の拝殿

▲大神神社の拝殿

「ここが室の八嶋」

▲「ここが室の八嶋」

大神神社境内の芭蕉句碑

▲大神神社境内の芭蕉句碑

壬生の町並み

▲壬生の町並み

稲葉の一里塚

▲稲葉の一里塚

日光壬生道の杉並木

▲日光壬生道の杉並木

楡木の追分

▲楡木の追分

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