奥州街道を行く! [2]
投稿日:2017年4月19日
芭蕉旅立ちの千住宿
2009年10月10日
隅田川にかかる千住大橋を渡り、南千住(荒川区)から北千住(足立区)に入っていく。千住大橋を渡った左側には「大橋公園」。そこには芭蕉の「おくのほそ道矢立初」の碑と「おくのほそ道行程図」がある。大橋公園は芭蕉公園といったところだが、「千住大橋と奥の細道」と題した案内もある。それには次のように書かれている。
千住大橋は文禄3年(1594年)、伊奈備前守忠次を普請奉行として、現在地よりやや上流の位置に隅田川最初の橋として架けられました。まだ治水も十分でなかった大川での架橋は難工事でした。伊奈備前守は工事の際に熊野権現に祈願して、架橋の無事完成を期したと伝わっています。その後いくたびか架け替えや修理が行われました。現在の鉄橋は昭和2年(1927年)に完成した長さ92・5mの当時としては総アーチ型という最新の橋でした。江戸時代の俳人、松尾芭蕉は元禄2年(1689年)、門弟曾良とともに深川より船でさかのぼり、同年3月27日ここ千住大橋の辺りで船を降り、「奥の細道」に旅立ちました。この時、矢立てより筆を取って「行春や鳥啼魚の目は泪」と一句。過ぎ行く春を惜しむと同時に、旅立つ者に人ばかりか鳥や魚までが別れを悲しんでいるという意味です。そこには江戸を離れる芭蕉の想いが隠されています。その後、奥羽、北陸をへて大垣に至る約600里、半年にわたる行脚をし、道中の詠句をもとに「奥の細道」が編まれました。
国道4号の反対側、千住大橋北詰の右手が千住宿の入口で、芭蕉の石像が建っている。そこもミニ芭蕉公園になっていて、芭蕉が植えられている。ミニ芭蕉公園の右手の一帯は青果市場になっている。
奥州街道(日光街道)最初の宿場、千住宿に入っていく。といっても千住宿内の奥州街道は逆方向の一方通行なので、いったん国道4号で千住宿を過ぎたところまで行き、荒川にかかる千住新橋の手前で右に折れて千住宿に入った。宿場の中心は北千住駅の周辺。そこには本陣跡の碑が立っている。
今でも宿場町の風情を色濃く残している千住宿は東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿とともに「江戸四宿」と呼ばれ、おおいに栄えた。水戸街道も元々は千住宿で奥州街道と分岐していた。千住宿を走り抜けて千住大橋に戻ると、国道4号で今度は千住新橋を渡り、梅島、竹ノ塚を通り、保木間から国道4号の旧道で埼玉県に入った。
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