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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

奥州街道を行く! [4]

投稿日:2017年4月23日

東北縦断へ

2009年10月10日

 さー、白河から青森へ。奥州街道の東北縦断の開始だ。

 出発点はJR白河駅前。まずは駅の裏手の小峰城(白河城)址を歩く。盛岡城、若松城とともに「東北三名城」といわれる小峰城は、南北朝時代に結城親朝がここ小峰ヶ岡に築城し、「小峰城」と名づけたのが始まりとされている。

 JR白河駅に戻ると、相棒のスズキDR−Z400Sで白河宿を走り始める。白河宿内の奥州街道は国道294号に相当する。城下町特有の鉤型道(クランク)が残っている。本陣跡と脇本陣跡が街道をはさんで向かいあっているが、本陣跡の案内板には次のように書かれている。

本陣は江戸時代の大名、幕府役人などの宿舎となる旅籠である。白河宿の本陣は、この地にあった本町の芳賀源左衛門家が代々務めた。明治9年(1876)明治天皇の第1回東北巡幸の際には休憩所とされた。本陣芳賀家の表間口は当時約16間余り(約30m)であった。

JR白河駅前を出発小峰城址を歩く白河宿内の鉤型道。突き当りを右折し、すぐに左折する

JR白河駅前を出発 小峰城址を歩く 白河宿内の鉤型道。突き当りを右折し、すぐに左折する

このあたりが白河宿の中心白河宿の脇本陣家にかかる額

このあたりが白河宿の中心 白河宿の脇本陣家にかかる額  

 江戸五街道としての奥州街道はここまでなので、白河宿はきわめて重要な宿場だった。

 いわき市の湯本温泉に通じる御斎所街道(直進)との追分(分岐)を左に折れ、JR東北本線のガードをくぐり抜け、東北第2の大河、阿武隈川を渡る。阿武隈川の堤防上にDR−Z400Sを止め、川の向こうに大きく見える那須連峰の山並みを眺めた。

 国道4号の女石の交差点の手前が奥州街道と会津街道の追分になる。奥州街道は右の小道に入っていくのだが、追分には「仙台藩士戊辰戦争之碑」が建っている。そのまま国道294号を走って女石の交差点へ。ここで国道4号に合流。交差点を右折し、国道4号を北へと走った。

 なお会津若松に通じる国道294号(会津街道)は女石の交差点を左折し、すぐに右折する。会津街道は佐渡金山の金銀を江戸まで運ぶ「佐渡三道」のひとつだった。北国街道、三国街道、それと会津街道の佐渡三道は「江戸五街道」に次ぐ重要な脇街道。会津街道は会津若松から白河までの「白河街道」と、会津若松から新潟までの「越後街道」の2本の街道に分けられていた。

東北の大河、阿武隈川を渡る阿武隈川の向こうに那須連峰の山並みを見る奥州街道(右)と会津街道の追分

東北の大河、阿武隈川を渡る 阿武隈川の向こうに那須連峰の山並みを見る 奥州街道(右)と会津街道の追分

追分に建つ「仙台藩士戊辰戦争之碑」女石の交差点。ここで国道4号に合流国道4号を北へ

追分に建つ「仙台藩士戊辰戦争之碑」 女石の交差点。ここで国道4号に合流 国道4号を北へ

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