カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

『地平線通信』(第30回目)(2012年10月号より)

投稿日:2021年3月10日

長かったカソリの夏

●みなさん、猛暑のつづいた今年の夏ですが、どのように過ごされましたか。9月に入っても暑い日がつづき、「どうなってしまうのだろう…」と不安にかられましたが、お彼岸を境に季節が変ったのには驚かされました。まさに「暑さ寒さも彼岸まで」で、それに合わせて我が家の庭の彼岸花が咲きました。地平線会議にとって今夏最大のイベントは、記念すべき第400回目の地平線報告会でしたが、それに参加できなかったのは何とも残念なことでした。しかし9月号の「地平線通信」で、その詳細を知ることができて、うれしく思いました。たいへんな盛り上がりだったようで何よりでした。これで「第500回目」という金字塔が見えてきましたね。●ぼくはその頃、バイクでマダガスカルを走っていました。第399回目の南相馬での報告会を終え、上條さんの山荘で参加者のみなさんとお別れしたあと、スズキの650ccバイク、V−ストローム650を走らせて福島へ。福島からは奥羽山脈の鳩峰峠を越えて山形県の赤湯温泉へ。さらに山形・宮城県境の奥羽山脈の峠を越えながら北上し、芭蕉の「奥の細道」の尾花沢まで行きました。尾花沢から最後の峠、鍋越峠を越え、古川から東京に戻り、20日あまりの「東北旅」にピリオドを打ちました。●帰宅するとすぐさまマダガスカルへと旅立っていったのです。これは旅行社「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」の第17弾目。総勢15名のメンバーとともにタイのバンコク経由でマダガスカルの首都アンタナナリボに飛びました。その中には第399回目の南相馬での報告会にも参加してくれた斎藤孝昭さんの姿もありました。斎藤さんの奥様がちょっと心配そうなお顔で成田まで見送りにきてくれたのは印象的でした。斉藤さんとは旅の途中、何度も南相馬での報告会の話をしましたよ。報告会にたびたび参加してくれている斎藤さんですが、2006年の「シルクロード横断」(天津→イスタンブール)や2008年の「南米・アンデス縦断」(リマ→ブエノスアイレス)を一緒に走っています。●今回の「マダガスカル」は日本からバイクを送り出すのではなく、現地のレンタルバイクを使いました。15台のバイクと2台の四駆のサポートカーでアンタナナリボを出発。カソリ号はハスクバーナーの550cc。そのままモトクロスの大会に参加できそうなパワフルなバイクなのですが、車高の高さには泣かされました。足がまったく地面につかず、何と今回は3回も立ゴケしてしまいました。バイクから降りられず、そのままパターンと倒れてしまったのです。「バイクのカソリ」のあまりにも情けない姿。斉藤さんの手を借りて起き上がったこともありました。マダガスカルは、ぼくにとっては40年ぶりになります。40年前はヒッチハイクだったので、バイクでは今回が初ということになります。世界第4位の大島、マダガスカルは日本よりも大きな島。中央部は高原地帯なので、熱帯圏といえどもバイクで走っていると肌寒いほどでした。それがモザンビーク海峡沿いの海岸地帯に下ると猛烈な暑さ。オフロードを求めてマダガスカルに行ったのですが、あまりの暑さと悪路とで、ゴールのマダガスカル南西部のトリアラの町に着いたときはもう息もたえだえ状態でした。●マダガスカル中央部ではあちこちで水田の風景を見ました。田植えと稲刈りの両方を見たこともあります。二期作どころか三期作の稲作でしょうか、その風景はアジアを思わせるものでした。モザンビーク海峡沿いの海岸地帯はバオバブの世界。バオバブ街道を走り、世界最大というバオバブの巨樹も見ました。水田とココヤシとバオバブの取り合わせは幻想的な世界でした。ナショナルパークの散策ではマダガスカル固有の原始猿、レムールとかシファカを見ることができました。●そんな訳で第400回目の報告会に参加できなかったのです。日本に帰るとすぐに、今度はV−ストローム650で「東北旅・第2弾目」に旅立ちました。関東と東北を分ける鵜ノ子岬を出発点にして、まずは福島県の太平洋側の浜通りを走ったのです。四倉舞子温泉の「よこ川荘」に今回も泊まりましたが、渡辺哲さんが差し入れを持って来てくれました。翌日は渡辺さんの故郷の楢葉町を走りました。8月10日以降、楢葉町の全域に入れるようになったのです。楢葉町北部の波倉の海岸の風景は、目にこびりついています。大津波で破壊された堤防のすぐ先に東京電力福島第2原子力発電所があるのです。第2がよくぞ無事だったと思わせる光景で、第1同様、大事故を起こしてもおかしくないような海岸地帯の激しいやられ方でした。●浜通りは第1の爆発事故で完全に分断されてしまいましたが、迂回路を経由して南相馬に行くと、海沿いの県道255号、幹線の国道6号、旧陸前浜街道の県道120号、「山線」の県道34号と、4本のルートで南相馬市と浪江町の境まで行ってみました。これら4本は、すべて東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故での規制線。国道6号は警察車両が国道を封鎖していましたが、それ以外の3ルートはゲートのみでした。●南相馬では鹿島町の仮設商店街「かしま福幸商店街」の「双葉食堂」で評判の鳥ガラスープのラーメンを食べました。店は大繁盛。順番待ちができるほどでした。南相馬市から相馬市に入ると、松川浦の「喜楽荘」に泊まったのですが、ここは渡辺哲さんと一緒に飛び込みで泊まった宿。女将さんがそれを覚えていてくれていたのはうれしいことでした。翌日は浜通り最北の新地まで行き、大津波で壊滅した海岸地帯を走りました。橋が落下したままの地点でバイクを止めると、しばらくは大津波で破壊された堤防越しに、白い砂浜と青い太平洋を眺めるのでした。新地から国道6号で宮城県に入り、さらに北へ。「東北旅」の第1弾目では下北半島の尻屋崎、大間崎に立ったので、第2弾目では津軽半島の龍飛崎に立ちました。それを最後に東京に戻ってきたのです。●「東北旅・第1弾目」にひきつづいての南相馬での地平線会議・第399回目の報告会、それに合わせて見ることのできた相馬野馬追、マダガスカル、そして「東北旅・第2弾目」と、長い長いカソリの2012年の夏でした。(賀曽利隆)

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