カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

5月18日(5)牡鹿半島

投稿日:2011年6月19日

頑張ってるぞ!東北!! ツーリング[鵜ノ子岬→尻屋崎 26]2011年5月18日

 石巻の渡波(わたのは)から県道2号で牡鹿半島に入っていく。
 風越峠新道の風越トンネルを抜けるとそこは牡鹿半島。最初に出会う浜は桃浦。家々は港の周辺に固まっているので壊滅的な状態。港はガレキが散乱し、足の踏み場もないほど。まだ手つかずの状態だ。

桃浦の漁港はガレキが散乱し、手のつけられないような状態…
牡鹿半島西海岸の浜の集落はことごとくやられた


 桃浦の次の月浦は歴史の舞台。伊達政宗の命を受けた支倉常長の一行が慶長18年(1613年)、この地からローマに向かって旅立った。高台には支倉常長の像が建っているが無事だ。そこから下った漁港の周辺は激しくやられている。

月浦の支倉常長像は健在!


 小積峠、石峠と越えて半島南端近くの鮎川に向かったが、行く先々の浜はほぼ全滅。ほっと救われるような光景にもでくわした。壊滅状態の漁港に鯉のぼりがたなびいていた。そこには被災したみなさんの、「さー、立ち上がろう!」という明日に向けての意欲が感じられた。
 牡鹿半島一番の幹線、県道2号は海岸線に沿って南下しているが、集落の大半は県道2号沿いの海岸に点在している。そのため浜の集落はほとんどがやられた。牡鹿半島は半島全体が全滅といっていいほどの大きな被害を受けたのだ。

壊滅的な状態の漁港にたなびく鯉のぼり口
被災した放送局の車。スタッフのみなさんは無事だったのか…


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