カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第143回 象潟

投稿日:2011年10月31日

2010年 林道日本一周・東北編

象潟や雨に西施がねぶの花

 秋田駅東口の「東横イン」を出発。駅前には何とkoshiさんが来てくれた。岩手県の宮古からの東北横断。夜通し車を走らせて来てくれた。koshiさんには「開運大吉」の「賀曽利隆」千社札を贈られた。
 koshiさんと握手をかわし、秋田からは国道7号を南下。本荘(由利本荘市)を過ぎた西目では、なつかしの「にしめ湯っ娘ランド」の湯に入った。
 湯から上がると、ダート区間の残る県道296号を走る。風力発電の風車の脇からダートに突入したが、残念…、ダートは2区間、合計しても2・2キロという短さだ。
 西目の駅前に戻ると、再度、国道7号を南下し、芭蕉ゆかりの象潟へ。

象潟
 江山水陸の風光を尽くして、今象潟に方寸を責む。酒田の港より東北のかた、山を越え、磯を伝ひ、いさごを踏みて、その際十里、日影やや傾くころ、潮風真砂を吹き上げ、雨朦朧として鳥海の山隠る。闇中に模索して「雨もまた奇なり」とせば、雨後の晴色またたのしきものと、あまの苦屋に膝入れて、雨の晴るるを待つ。その朝、天よくはれて、朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮かぶ。まず能因島に舟寄せて、三年幽居の跡を訪ひ、向かうの岸に舟を上がれば、「花の上漕ぐ」とよまれし桜の老の木、西行法師の記念を残す。江上に御陵あり。神功皇后の御墓という。寺を干満珠寺という。この所に行幸ありしこといまだ聞かず。いかなることにや。この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天を支え、その影映りて江にあり。西はむやむやの関、道を限り、東に堤を築きて、秋田に通ふ道遥かに、海北にかまえて、波うち入るる所を汐越といふ。江の縦横一里ばかり、俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。
  象潟や雨に西施がねぶの花
  汐越や鶴脛ぬれて海涼し

『おくのほそ道』

『おくのほそ道』の中でも、「象潟」は名文。芭蕉は「江山水陸の風光を尽くして」と、象潟を絶賛している。まるでここが「奥の細道」のゴールといってもいいような書き方で、象潟の描写にはひときわ熱が入っている。
 とくに印象深いのは干満珠寺から見た風景。
「この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天を支え、その影映りて江にあり。西はむやむやの関、道を限り、東に堤を築きて、秋田に通う道遥かに、海北にかまえて、波うち入るる所を汐越という」
 象潟に到着すると、まっさきに蚶満寺に行った。この寺が芭蕉の時代の干満珠寺になる。境内には芭蕉像と新しく出来た絶世の美女、西施像が建っている。
 しかし今では、『おくのほそ道』にあるような風景は見られない。象潟が潟でなくなってしまったからだ。
 なんとも残念なことだが、文化元年(1804年)の象潟地震でこの一帯は隆起し、「江の縦横一里ばかり」とある潟が陸地になってしまった。
 蚶満寺の境内には舟つなぎ石が残されているが、それが当時は潟の岸辺にある寺だったことを証明している。またここからはポコッ、ポコッと盛り上がった小丘をいくつも見るが、それが当時の九十九島。今では稲田の中に浮かんでいる。象潟の郷土資料館に行くと、大地震以前の復元された模型が展示されている。それを見ていると、あらためて、
「残念…」
 という気持ちがわき上がってくる。
 芭蕉は「松島は笑うがごとく、象潟は憾がごとし」
 といっているが、まさにそのとおりになった。
 松島は「奥の細道」ブームも手伝って、押すな押すなの大盛況。瑞巌寺や五大堂などは、人をかきわけて歩くようなものだ。それにひきかえ、潟でなくなってしまった象潟はまるで忘れ去られたかのような存在で、訪れる人も少ない。
 そんな象潟をあとにし、三崎を過ぎて秋田県から山形県に入る。吹浦では雲をかぶった鳥海山を見、酒田へ。
 酒田では最上川河口の酒田港でビッグボーイを停めた。

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今回のエリア:昭文社ツーリングマップル東北 65→60→54→49

秋田市街→西目→象潟→酒田

秋田駅前にkoshiさんが来てくれた
なつかしの「にしめの湯っ娘」の湯に入る


ダート県道296号脇の風車
西目駅前に戻ってくる


蚶満寺の芭蕉像
新しく西施像ができていた


象潟の九十九島跡
秋田・山形県境の三崎


三崎峠の旧道
三崎峠の「奥の細道」碑


吹浦から見る鳥海山
最上川河口


最上川河口の酒田港
酒田港の飛島航路のターミナル




飛島行きの「とびしま」

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