環日本海ツーリング[17]
投稿日:2012年2月29日
せめて歌棄磯谷まで…、切なく響く江差追分
弁慶岬を後にし、寿都(すっつ)町の中心へ。それとともに風はやんだ。弁慶岬の周辺はとくに風が強いようだ。スズキDR-Z400Sを走らせ、寿都湾沿いの国道229号を行く。
寿都湾を一望する歌棄(うたすつ)の海岸には、鰊御殿が残っている。以前は旅館として使われていたが、今はやっていないようだ。
その鰊御殿の前に「江差追分」の歌碑が建っている。
「忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで」
と、歌碑には彫り刻まれている。
ここは「江差追分」に歌われている「歌棄磯谷」のうちの歌棄なのだ。
歌棄からは国道229号で余市、小樽方向に走り、もうひとつの磯谷へ。尻別川の河口に近い集落だ。国道沿いの磯谷郵便局の前でDRを停めて海岸を歩き、しばし「江差追分」の世界にひたった。
「江差追分」の歌碑にある忍路(おしょろ)は、余市から国道5号で小樽に向かった一帯で、かつてはニシン漁の好魚場だった。忍路湾や忍路半島など、今でも地名に「忍路」が残っている。
高島は小樽から「おたる水族館」のある高島岬に向かった一帯で、ここもニシン漁では空前の繁栄を謳歌した。岬近くの祝津に「鰊御殿」が残っている。
「忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで」の「江差追分」の一節は、ニシン漁の漁夫の「ヤン衆」を想う女性の歌。小樽の忍路や高島まで一緒に行きたいとはいわないけれど、せめて歌棄や磯谷まででいいから一緒についていきたい…という何とも切なくなるような恋歌なのだ。
そんな磯谷から尻別川を渡り、岩内町に入った。