カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[32]

投稿日:2012年4月1日

サハリンへの想いを胸に、フェリーターミナルを訪ねる

 稚内到着の翌朝は、夜明けとともに国民宿舎「氷雪荘」を出発し、稚内港を歩いた。
 まずは北防波堤ドーム。まったく人影のないガラーンとした北防波堤ドームを歩く。その日はまもなく7月になろうかという6月29日。以前だと、ここにテントを張っているツーリング・ライダーの姿を多く見かけたのだが…。北海道を走るライダーは減った。それが寂しい。
 戦前の稚内と樺太の大泊(現コルサコフ)を結ぶ日本の北の動脈、稚泊航路の記念碑を見、その隣りのC55の主動輪を見る。C55は戦前の稚泊航路の連絡船に接続する列車を、戦後は急行「利尻」を牽引した蒸気機関車。「C55 49」は49番目のC55という意味だ。
 稚泊航路の記念碑前は1991年にサハリンに渡ったときに乗ったロシア船の出港した岸壁。あの時のなつかしのシーンを目に浮かべながら岸壁を歩いた。
 次に礼文・利尻航路のフェリー・ターミナルに行く。ターミナルビルは早朝から賑わっていた。礼文島は花盛りでそれを見に行く団体の観光客が、ハートランドフェリー「フィルイーズ宗谷」の出航を待っていた。
 最後にサハリン航路の岸壁へ。そこには稚内とコルサコフを結ぶハートランドフェリーの「アインス宗谷」が接岸していた。今度稚内に来るときは、このフェリーに乗るのだ。「また来るからな、待ってろよ!」
 とひと声かけて稚内駅に向かった。

夜明けの稚内港北防波堤ドーム
稚泊航路の記念碑


C55の主動輪
1991年の「サハリン行」はこの岸壁から旅立った!


礼文・利尻航路のハートランドフェリー
礼文・利尻航路の「フィルイーズ宗谷」


礼文・利尻航路のフェリー・ターミナル
礼文島・利尻島の案内図


サハリン行きの「アインス宗谷」
早朝の稚内駅前通り


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