環日本海ツーリング[51]
投稿日:2012年4月22日
奥州街道、本州最北の三厩宿で折り返す
国道4号で岩手県に入ると、奥州街道の最初の宿場、一関から前沢、水沢と通っていく。一関宿と前沢宿の間が平泉になる。
世界遺産の登録されたばかりの岩泉では高館に立ち、「夏草や兵どもが夢の跡」の芭蕉句碑を見、そのあと中尊寺の金色堂を見てまわった。
平泉では今回、疑問がひとつ解消されたかのような気分。
「奥の細道」で芭蕉は一関の旅籠に泊まり、平泉の高館、金色堂と見てまわってその日のうちに一関に戻っている。平泉は「奥の細道」の中でも重要な舞台で、「奥州編」では最北の地になっている。そんなこともあって、何で平泉に泊まってゆっくりとこの地をまわらなかったのだろう…という疑問を感じていたのだ。
だがこうして奥州街道の宿場をめぐってみると、その理由は平泉は奥州街道の宿場ではないので、旅籠もなく、泊まれるようなところがなかったからではないかと推測できた。
金崎、黒沢尻(北上)、花巻、石鳥谷と通り盛岡へ。
盛岡を過ぎると奥州街道の宿場は渋民、沼宮内とつづくが、渋民宿では「啄木記念館」を見学した。沼宮内宿を過ぎたところでは北上川の源の湧水まで行った。
そして国道4号の最高所、十三本木峠(中山峠)を越えた。峠下が小繋宿。国道4号脇のJR東北本線の小繋駅でビッグボーイを停め、ひと休みしていると、バイクが1台、やってきた。何とヤマハのFZ750に乗るホリゴメさん。「300日3000湯」では何度となく出会ったホリゴメさんは、
「ツーリングマップルにサインをもらいたくて」
と、仙台から一気にここまでやってきた。
『ツーリングマップル』の最新版にサインすると、
「これから仕事なんですよ」といって仙台に戻っていった。胸にジーンとくるホリゴメさんとの出会いだ。
一戸、福岡(二戸)、金田一と通り、青森県に入る。
岩手県内の奥州街道の宿場は全部で16宿になる。
青森県最初の宿場は三戸。三戸城址を歩いたあと五戸、七戸、野辺地を通って青森へ。ここまでの青森県内の宿場は全部で10宿になる。
奥州街道はさらに北へ、津軽半島の三厩へとつづき、さらに津軽海峡を渡り、蝦夷の松前が終点になる。そのため「松前街道」と呼ばれることが多い。
青森の次が油川。ここで奥州街道と羽州街道の東北の2大街道は分岐する。
油川からは蓬田、蟹田、平舘、今別と通り三厩へ。千住宿から116宿目の三厩宿には「松前街道終点の地」碑が建っている。「源義経渡道の地」碑も建っている。
悲劇のヒーローの源義経は平泉の高館で死んだのではなく、弁慶とともに北に逃げ、三厩から蝦夷に渡ったという。そんな「義経北行伝説」が東北の各地に残されている。三厩には義経寺もある。
三厩からは国道339号を走り、津軽半島最北端の龍飛崎に立ち、日本海側の小泊を通り、五所川原経由で青森に戻った。