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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[303]

投稿日:2015年7月18日

中山道の復路編

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月28日

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四条大宮の「東横イン」を出発

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早朝の三条大橋を渡る

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国道1号の逢坂山峠。右は旧道

 2009年5月28日6時、「西国33ヵ所めぐり」を終えて京都を出発。中山道の復路編を開始。スズキの12ccスクーター、アドレスV125Gのエンジンを始動させ、四条大宮の「東横イン」の前から走り出し、中山道の出発点の三条大橋へ。鴨川にかかる早朝の三条大橋には歩行者の姿もなく、車の通行もほとんどない。橋のたもとにアドレスを止め、橋の上から鴨川の流れを見下ろした。ここから草津宿までは中山道と東海道の重複区間になる。

 三条大橋を渡り、京阪の三条駅前から蹴上を通り、日ノ岡峠を越えて山科へ。国道1号と合流し、京都府から滋賀県に入り、逢坂山峠に到達。そこには「逢坂山関址」の碑と常夜灯が建っている。案内板には「逢坂の関」について次のように書かれている。

逢坂の関の初出は、平安京建都の翌年、延暦14年(795年)に逢坂の関の前身が廃止されたという『日本紀略』の記述です。その後、逢坂の関は京の都を守る重要な関所である3関(鈴鹿関・不破関・逢坂関)のひとつとして、弘仁元年(810年)以降、重要な役割を果たしていましたが、平安後期からは徐々に形骸化されその形を失っていきました。逢坂の関の位置については現在の関蝉丸神社(上社)から関寺(現在の長安寺のある辺り)の周辺にあったともいわれますが、いまだにその位置は明らかになっていません。

 標高325メートルの逢坂山は古来、交通の要衝の地で、関山ともいわれてきたが、山の北側と南側に峠がある。北側は小関越で南側が国道1号の逢坂山峠。峠の真下をJR東海道本線の逢坂山トンネルが通っている。

 逢坂山峠を下って大津宿に入っていく。京阪の浜大津駅前を通り、琵琶湖の大津港の岸壁でアドレスを止めた。

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逢坂山関址の碑と常夜灯 大津宿を走る京阪京津線の電車 琵琶湖の大津港

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