カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

V-Strom1000で行く台湾[11]

投稿日:2015年9月3日

根強い媽祖信仰

2015年8月5日(2日目)

 昼食に大満足し、礁渓を出発。宜蘭の町を走り抜け、国道9号を南下し、蘇奥に到着。蘇奥は三方を山に囲まれたこじんまりとした町。ここは日本に最も近い所としても知られている。日本最西端の与那国島までは110キロだ。

 蘇澳には蘇澳港と南方澳港、2つの港があるが、漁港の南方澳港の岸壁にズラズラッとV−ストロームを止めた。漁港は漁船でびっしりと埋め尽くされていた。

 南方澳港の前にある南天宮を参拝。ここには媽姐(まそ)がまつられている。南天宮は3階建で、1階にも2階にも3階にも媽姐像がある。2階の媽姐像は玉で、3階の媽姐像はまぶしいばかりの金だ。

 台湾ではこの媽姐をまつる寺院が圧倒的に多い。航海の女神として知られている媽姐は台湾人の尊崇を一身に集め、航海の女神にとどまらず、まるでアラーのような全知全能の神になっている。

 司馬遼太郎の『街道をゆく』はぼくの愛読書だが、第40巻目の「台湾紀行」には台北の老人の言葉として次のようなくだりが出ている。、
「台湾は観音様と媽姐様によってまもられています」

 台湾では仏教は衰退してしまったが、その中にあって、観音信仰だけは今でも盛んだ。

 さらに司馬さんは次のようにつづけている。
「むかしむかし、福建省の甫田に林ゲンという人がいた。その第6女が機織をしていると、魂がぬけ出して海上で遭難しかけている父を救った、という。父のかたわらで兄も溺れかけていた。兄を救おうとしたところ、母が不審に思って彼女を呼び醒ました。遊魂は彼女の体にもどり、このため兄は溺れた。後に成道し、天へ飛昇したのが、媽姐である」

 このように媽姐は実在の女性なのである。

 長崎には長崎最古の唐寺の興福寺のほかに、崇福寺、聖福寺の「唐三ヵ寺」がある。これらの唐寺には媽姐をまつる媽姐堂がある。唐の船主たちが、航海の安全を祈願してまつったものだ。そこには媽姐を守護する順風耳(じゅんぷうじ)と千里眼(せんりがん)の2神もまつられている。

「順風耳」は大きな耳が特徴。あらゆる悪の兆候や悪巧みを聞き分けて、いち早く媽祖に知らせる役目を持っている。「千里眼」は3つの目が特徴。媽祖の進む先やその回りを監視し、あらゆる災害から媽祖を守る役目を持っている。

 横浜の中華街にも関帝廟のほかに媽姐廟がある。さらに興味深いのは、日本の各地に媽姐信仰が伝わっていることだ。その一例だが、台湾からはるかに遠い下北半島北端の大間にある大間稲荷神社は媽祖をまつっている。大間稲荷神社の由来によると、もともとは百滝稲荷といっていたようだ。明治6年(1873年)に天妃媽祖大権現と金毘羅大権現を合祀、現在は弁天神(奥津島姫尊)も合祀している、とある。この天妃媽祖大権現とあるのが媽祖のことだ。元禄9年(1697年)7月23日、後に名主となる伊藤五左衛門が海上で遭難したときに助けられた神徳を崇め、水戸藩領那珂湊の天妃山媽祖権現をこの地に分霊したもの。それ以来、船魂神として多くの漁民たちの厚い信仰を集めているという。

 媽祖を通しての台湾と日本のつながりは、じつに興味深い話ではないか。

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▲国道9号を南下し蘇奥へ

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▲蘇奥の南方澳漁港

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▲南天宮1階の媽祖像

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▲南天宮2階の媽祖像

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▲南天宮3階の媽祖像

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